鹿児島県南九州市の頴娃町・雪丸地区に伝わる真田幸村のお墓を紹介します。

 
鹿児島県南九州市の頴娃町に来ています。
ここ頴娃町にはある伝説があります。

武将・真田幸村(さなだゆきむら)が、
薩摩に落ち延びて頴娃で暮らした伝説。
根拠になった真田幸村のお墓を紹介します。

 

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鹿児島県南九州市の頴娃町・雪丸地区に伝わる真田幸村のお墓を紹介します。

頴娃町は「えいちょう」と読みます。
読むのに難しい地名で、
いつも引き合いにだされる地名です。
 

お茶どころの頴娃の奥にある雪丸地区

お茶どころの頴娃の奥にある雪丸地区


 
その頴娃町の山地の奥にある、
雪丸(ゆきまる)という地区に、
真田幸村のお墓があるというのです。

この雪丸という地名は、
鹿児島ではここだけじゃないかな?
あまりなじみのない地名です。

幸村(ゆきむら)が雪丸(ゆきまる)
になったのかな。
雪丸はかなり以前からあるそうですよ。

お茶畑を進みます。

頴娃町は、
日本有数のお茶生産量を誇る、
鹿児島のお茶どころです。

そんなお茶畑を進むと、
頴娃町の奥にある山があります。
その山の麓にあるのが雪丸地区です。

雪丸に入るとすぐに見つけました、
真田幸村のお墓」の案内板を。
 

雪丸地区の真田幸村のお墓の案内板。

雪丸地区の真田幸村のお墓の案内板。

駐車場が整備されています。

案内板に沿って集落を過ぎて、
山あいの道を進むと、
見学者のための駐車場がありました。

この駐車場は畑を削って、
整備した大きなスペースでした。
 

真田幸村のお墓の駐車場があります。

真田幸村のお墓の駐車場があります。


 
この大きな駐車場といい、
真田幸村のお墓の看板といい、
雪丸地区の自治会が行ったそうですよ。

 

真田幸村のお墓への山道。

駐車場から真田幸村のお墓へは、
山道ですが、ここも整備されています。
あちこちに案内板がありました。
 

山道のあちこちに案内板があります。

山道のあちこちに案内板があります。


 
自治会が用意した杖もあります。
これを使って山道を進むと、
10分程で真田幸村お墓に着きます。
 
これが真田幸村のお墓といわれる石碑です。

これが真田幸村のお墓といわれる石碑です。


 
木々の林に囲まれて、
ひっそりとお墓がありました。

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伝・真田幸村のお墓です。

真田幸村のお墓と言っても、
古い石塔があるだけでした。

石塔の回りをまわって、
真田幸村の文字や痕跡を探してけど、
見つかりませんでした。

ただ歴史家の桐野作人氏の、
新聞記事が紹介されていました。
 

歴史作家・桐野作人氏の新聞記事もある。

歴史作家・桐野作人氏の新聞記事もある。


 
お墓がある雪丸地区の人々は、
昔から真田幸村のお墓と、
言い伝えられて大事にしてきたそうです。

真田幸村の伝説とは。

雪丸地区に伝わる伝説によると、
豊臣家を守りながら、
大坂城で亡くなったといわれる真田幸村。

実は、豊臣秀頼(ひでより)を連れて、
薩摩に逃れて、
頴娃の雪丸で晩年を過ごしたそうです。

全国各地にある、
真田幸村の生存伝説が、
ここ頴娃の雪丸にもあったのですね。
 

歴史のロマンを感じる場所でした。

歴史のロマンを感じる場所でした。

歴史ロマンが良いですね。

真田幸村のお墓で感じたのは、
これが歴史ロマンか、ということです。

伝説をうんぬんするよりも、
伝説を信じるほうが楽しいですよね。

地元雪丸の人々も、
それを信じてお墓を守っていました。
 

また鹿児島市には、
一緒に薩摩に落ち延びた、
伝・豊臣秀頼のお墓があります。


 
伝・真田幸村のお墓
鹿児島県南九州市牧の内雪丸
駐車場 有ります。
 

 

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鹿児島まち歩き 街案内で紹介しています。


 

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