戦国島津詣のツアーに参加してます。
戦国島津氏の居城・伊作城の麓にある、
大汝牟遅神社に参拝しました。
大汝牟(おおなむち)神社は、
戦国島津氏の崇敬の厚い神社です。
島津氏とも関わりがあります。
特に島津忠良が奉納したとされる、
流鏑馬(やぶさめ)が今でも行われます。
【戦国島津詣】伊作城攻めの次は島津忠良が流鏑馬を奉納した大汝牟遅神社に参拝。
大汝牟遅神社が鎮座するのは、
鹿児島県日置市吹上町中原です。
国道270号線沿いに、
看板と駐車場があります。
大汝牟遅神社の由緒。
大汝牟遅神社は、
島津氏初代当主・島津忠久が、
鶴岡八幡宮から勧請したとされます。
その後、地元を支配していた、
島津伊作家の崇敬を、
うけるようになりました。
島津家との関係。
大汝牟遅神社の社務所の壁に、
島津氏との関わりを紹介しています。
島津忠良から、
孫にあたる島津4兄弟との、
大汝牟遅神社との関わりです。
そこには戦国島津氏の最強の武将、
島津義弘が幼少時に、
初宮や初詣で参拝していたこと。
また祖父である、
島津忠良(日新公)を訪ねた帰りに
大汝牟遅神社に立ち寄ったこと
また義久・義弘が、
大汝牟遅神社本殿の補修に、
寄付をしたことが書いてあります。
すぐそばの亀丸城で生まれ、
幼少期を過ごした折に、
大汝牟遅神社に参拝していたのです。
そんなことを考えていると、
戦国島津の武将達が、
とても身近な存在に感じました。
島津忠良(日新公)がいました。
社務所の横には日新公がいました。
これはひおきPR武将隊のキャラクターです。
亀丸城でお会いした日新公です。
スタンプラリーを使って、
ここでもPR活動を行っていました。
島津忠良が奉納した流鏑馬。
戦国島津氏との関わりが、
未だに続いているにのは流鏑馬です。
流鏑馬の由来が書いた案内板があります。
それによるとこの流鏑馬の起源は、
島津忠良(日新公加世田城攻めの、
勝利祈願が叶ったお礼に、
奉納したのが始まりとされます。
流鏑馬は毎年11月に行われます。
当日は多くの見物者が集まり、
賑やかな1日になります。
その時の様子はこちらからどうぞ。
千本楠の森も外せませんよ。
大汝牟遅神社には、
千本楠というとても素敵な場所があります。
楠の大木が横たわるように生え、
とても神秘的なので、
吹上のパワースポットとも呼ばれています。
戦国島津詣でのツアー参加者も、
木からのパワーを感じているようでした。
戦国島津氏もパワーを頂いていた?
きっと戦国島津氏が亀丸城に居た頃から、
この千本楠があったのかもしれませんね。
島津氏が強かったのは、
大汝牟遅神社の神様と、
この木からのパワーがあったのかな、
と思いつつ次の目的地、
永吉島津家の菩提寺・天昌寺に向かいました。
ツアーで行った全ての場所ヘは、
こちらから戻ってから進めますよ。
大汝牟遅神社
鹿児島県日置市吹上中原2263
電話 099-296-5950
駐車場 10台
指宿スカイライン谷山ICより車で約30分
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