日置市の吹上歴史民俗資料館には戦国島津氏の貴重な遺品がある

戦国島津詣のツアーで次に立ち寄ったのは、
日置市の吹上歴史民俗資料館です。
吹上地域の遺物を展示する郷土資料館です。

場所は島津氏の居城であった、
伊作城からすぐそばにあります。
という事は島津氏の遺品もあるはずです。

 

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吹上歴史民俗資料館の場所

資料館がある吹上は、
戦国島津氏の居城、
伊作城の麓にあたる場所です。

山城・伊作城跡から降りて、
国道270号線の中原交差点の、
周辺に吹上の町が広がっています。

中原交差点からすぐの、
日置市吹上中央公民館の隣にあります。

歴史民俗資料館とは

歴史民俗資料館って、
どこでもありますよね。
資料館のイメージはというと。

その土地で昔から使われていた、
農具や生活品がところ狭しと、
置いてある。そんな感じですかね。

もちろん吹上歴民俗資料館も、
そのような農具などの展示もあります。
しかし吹上は伊作城の麓の町なのです。

資料館には昔の農具なども展示

資料館には昔の農具なども展示

戦国島津氏の貴重な品々を展示。

歴史資料という点では、
伊作城や近くの神社仏閣に残された、
戦国島津氏の数々の遺品があるのです。

それも歴史学者や歴史ファンが、
泣いて喜ぶような貴重な物が。

戦国島津氏に関する資料が、
入場料100円で見られるなんて、
絶対に素通りできない歴史資料館ですよ。

展示の目玉は戦国島津氏の資料です。

展示の目玉は戦国島津氏の資料です。

戦国島津氏の始まりを表す仏像。

展示品で一番注目されているのが、
後ろに文字が刻まれた仏像です。

島津貴久が当主になった年に、
父である島津忠良と祖父である、
島津運久が連名で奉納した仏像なのです。

戦国島津氏の始まりがわかる仏像

戦国島津氏の始まりがわかる貴重な仏像

戦国島津氏の歴史の始まりを、
伝える貴重な資料といえます。

島津氏の系統がわかるから、
大事なのでしょうね。

弓矢をいれる箙はまるで工芸品

これは箙(えびら)と呼ばれる物で、
弓矢を入れて背中に背負います。

工芸品のような箙(えびら)です。

工芸品のような箙(えびら)です。

島津忠良が大汝牟遅神社に、
奉納した箙なのです。
まるで工芸品のようですね。

 

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島津豊久のファンです。

吹上歴史民俗資料館には、
学芸員のスタッフの方がいましたが、
この方が説明をしてくれました。

この方がものすごく詳しいのです。
何にかって、もちろん島津氏にですよ。
なによりも島津氏が好きなんでしょうね。

だって島津豊久(しまずとよひさ)の、
シャツを着ていたもの。
背中のイラストが語ってます。

ドリフターズの主人公・島津豊久です

ドリフターズの主人公・島津豊久です

ドリフターズのファンなの?

背中のイラストは、
ドリフターズの島津豊久です。
ドリフターズとは「放浪者」の意味です。

主人公の島津豊久が関ケ原の戦いから、
生死の狭間から異世界に入り込み、
放浪しながら活躍するいうコミックです。

コミックの島津豊久はイケメンで、
これが意外と人気なのです。
特に歴女と言われる方々に。
ちなみに実際の豊久も美男子だったそうです。

島津豊久ってだれ。

島津豊久(しまずとよひさ)とは、
戦国島津家の4兄弟の4男である、
島津家久の息子なのです。

島津家の中でも、
美男子で有名だったようです。
それに武功もあげる戦上手だったそうです。

妙円寺詣りのポスターにも豊久が。

妙円寺詣りのポスターにも豊久が。

関ケ原の戦いにも、
伯父である島津義弘とともに、
西軍について戦います。

島津義弘の身代わりになります。

関ケ原の戦いでは、
島津義弘が行った、
島津の退きぐち」が有名です。

島津軍が退路をたたれてから、
目の前の徳川軍を突破するという、
前代未聞の方法で退却したのです。

しかし突破ができたわけは、
島津豊久が自ら伯父の身代わりを、
進言して壮絶な最期を遂げたから。

島津義弘の敵中突破は語られますが、
そこには島津豊久の犠牲が、
あったことはあまり語られません。

吹上歴史民俗資料館
鹿児島県日置市吹上町中原2568
電話  099-296-2124
営業  9:00~16:30
定休日 土日、祝祭日、年末年始
駐車場 あり(無料)
料金  大人100円 小人50円
谷山ICから約30分
鹿児島交通伊作バス停から徒歩5分

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