鹿児島県の、
薩摩川内市を流れるのが、
1級河川の川内川です。
藩政時代より、
川内川の氾濫を抑えるための、
治水工事が幾度も行われていました。
そんな中から考案された、
長崎堤防は画期的な堤防で、
鋸の刃のような形をしていました。
長崎堤防は川内川河口の水田を守った鋸の刃のような堤防
川内川の河口から4㎞程上流にある、
高江町の長崎水田では、
昔から稲作を行っていました。
しかし大雨がふると、
川内川が氾濫して、
水田に泥水や海水が流れ込みました。
その都度、
甚大な被害が及び、
人々を苦しめていました。
江戸時代初期に始まった干拓工事。
そこで第19代藩主・
島津光久(しまずみつひさ)は、
小野仙右衛門(おのせんえもん)を、
普請奉行に任じて干拓工事を始めます。
取り掛かったのは、
江戸初期の1679年のことです。
それから8年の歳月を要しました。
川内川の激しい水の流れで、
何度も治水と氾濫を繰り返したすえに、
やっと水を止めることができました。
長崎堤防の形。
苦心の末に完成した堤防は、
鋸(のこぎり)の刃のような形でした。
川に突き出た突起が、
7ヶ所ある堤防は、
全国でも珍しいものです。
でもこの形が、
水の勢いを止めたのです。
このアイデアは今でも高く評価されてます。
小野仙右衛門らの苦難。
長崎堤防の下流には、
小野仙右衛門をまつる、
小野神社があります。
小野神社には、
小野仙右衛門の顕彰碑が、
建立されています。
長崎堤防は、
大きな犠牲と困難を伴った、
最大の難工事だったようです。
心の文字が刻まれた岩。
小野神社の裏の岩には、
仙右衛門が工事の完成を祈って、
刻んだ「心」の文字が残っています。
大変な難工事でも、
必ず完成させようとした、
仙右衛門の執念が伝わってきそうです。
袈裟姫伝説も残ります。
大変な犠牲を伴った工事は、
人柱の伝説も残っています。
仙右衛門の一人娘・袈裟(けさ)が、
進んで人柱になり、
難工事を完成させることができた。
そんな袈裟姫伝説が、
語り継がれるほどの犠牲を払い、
完成したのが長崎堤防だったのです。
長崎堤防で先人に思いをはせました。
現在は高江の水田地帯は、
川内川の氾濫に、
悩まされることはありません。
それは、遠い昔の、
小野仙右衛門らの多大な、
犠牲のおかげなのです。
長崎堤防に使われた先人の知恵と、
小野仙右衛門らの努力に、
敬意を表すばかりです。
有形文化財の江之口橋もあります。
水の被害を無くす為に作られました。
長崎堤防(ながさきていぼう)
鹿児島県薩摩川内市高江町
JR川内駅から国道3号線、
県道43号線を経由して車で約20分
鹿児島市内の観光情報はこちら
鹿児島市内の情報については、
鹿児島まち歩き 街案内で紹介しています。