鹿児島の歩き方です。
実は鹿児島県は金の産金量は、
佐渡金山を抜き日本一なのです。
鹿児島県の各地には金山があり、
藩政時代に発見された最も古い、
永野(山ヶ野)金山があります。
鹿児島県さつま町に、
その金山の跡地の、
胡麻目坑口跡を見てきました。
胡麻目坑口跡の場所
胡麻目坑口(ごまめこうぐち)跡は、
鹿児島県さつま町の、
永野地区の山の中にあります。
鹿児島市からは、
九州自動車道の横川ICから、
県道50号線をさつま町方面へ進みます。
横川ICから車で約20分程で、
県道50号線沿いに看板が、
ありますのですぐわかります。
永野(山ヶ野)金山とは
永野(山ヶ野)金山は、
霧島市横川町上ノ山ヶ野と、
さつま町永野をまたぐ大金山です。
永野(山ヶ野)金山の、
最盛期には33の町があり、
人口は1万2千人程いたと云われます。
各地に金山の跡地が残っています。
ここ胡麻目坑口跡はその一つで、
坑口がはっきりと残っています。
藩政時代に発見されました
永野(山ヶ野)金山が、
発見されたのは、
藩政時代の寛永17年(1640年)です。
それから300年にわたり、
昭和28年の閉山に至るまで、
金の採掘が続けられました。
発見当時は、
薩摩藩は関ヶ原の敗戦後の、
財政がひっ迫していた頃です。
佐渡金山に匹敵する、
埋蔵金を誇る永野(山ヶ野)金山は、
薩摩にとってはまさに宝の山でした。
胡麻目坑口跡です
胡麻目坑口は、
永野金山の第6番坑道になります。
ここは明治以降に整備されました。
永野金山の鉱石の運び出しや、
工夫の出入り口として、
使われた代表的な坑口です。
石造りやコンクリート遺構も残り、
県道沿いで目に付きやすいのです。
胡麻目坑口跡の入口
胡麻目坑口の入口には、
鉄の扉があり鍵がかかっています。
危険ですので立入禁止になっています。
入口の上には、
採掘を行った薩摩藩島津家の、
家紋である丸に十の字があります。
坑道は横川の山ヶ野金山まで、
2キロ程続き、さらに地底へと、
坑道が伸びていたそうです。
坑道には線路が敷かれ、
鉱石や工夫の運搬に使われた
電車の写真がありました。
工夫専用の風呂場の跡
工夫専用の風呂場の跡の、
石組が残っています。
お風呂が作られたのは訳があります。
1931年ごろに、工夫が、
金鉱石を持ち帰る事件が多発して、
それを密売するのが問題になりました。
そこでお風呂に入っている間に、
持ち物を検査するようにしました。
そんな訳ありのお風呂なのです。
内山与右衛門のお墓
永野金山を最初に発見したのは、
内山与右衛門と云われています。
その内山与右衛門のお墓がありました。
胡麻目坑口が掘られたのは、
明治以降のことでしたので。
別な場所で見つかった墓石を、
胡麻目坑口跡に移して、
金山発見者の石碑にしました。
胡麻目坑口跡に寄りました
今日は永野(山ヶ野)金山跡の、
胡麻目坑口跡に行ってきました。
胡麻目坑口跡を見て、
薩摩藩や島津家を支えた金山で、
当時に思いをはせました。
胡麻目坑口跡(永野(山ヶ野)金山)
鹿児島県薩摩郡さつま町永野金山
問合せ 0996-57-0970
(さつま町教育委員会)
駐車場 有
九州自動車横ICより車で約20分
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