松尾城(栗野城)は栗野にある島津義弘が朝鮮の役に出陣した石垣が見事な山城です。

 
鹿児島県姶良郡湧水町に来ています。
ここには戦国島津氏の武将・島津義弘が、
5年間だけ居た松尾城があります。

見事な石垣のある松尾城は、
ここは以前の地名・栗野から、
栗野城とも呼ばれる中世の山城です。

 

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松尾城(栗野城)は栗野にある島津義弘が朝鮮の役に出陣した石垣が見事な山城です。

松尾城は姶良郡湧水町を流れる、
川内川左岸の標高249メートルの、
丘陵地に築かれています。

九州自動車道の栗野ICから、
湧水町に入り国道268号線の、
栗野清水」交差点を右折します。

すぐに心光保育園の手前から、
坂道を城山運動公園へと進みます。
城山運動公園が松尾城跡です。
 

松尾城跡は整備されて公園のようです。

松尾城跡は整備されて公園のようです。

松尾城の案内板がありました。

城山運動公園は、
広い駐車場と整備された敷地は、
山城跡といった感じがありません。

松尾城の案内板も新しいものでした。
それによりますと、元々は、
在地領主・北原氏の居城でした。

その後、天正十八年(1590年)に、
島津義弘が入城することになります。
この松尾城に5年間だけ在城しました。

朝鮮出兵に松尾城から出陣。

短い在城の期間でしたが、
ここから朝鮮出兵で出陣しています。

整備された城壁には、
豊臣秀吉から下った命に、
朝鮮に出兵する様子が描かれています。
 

朝鮮出兵した様子が描かれています。

朝鮮出兵した様子が描かれています。

栗野磨欲(くりのとぎほし)踊りは、
兵士の士気を鼓舞するために、
麓の勝栗神社に奉納した踊りです。
 

兵士を鼓舞した踊りが受け継がれます。

兵士を鼓舞した踊りが受け継がれます。

松尾城の二の丸から攻めます。

公園にあるこんもりとした場所が、
松尾城の本丸跡と二の丸跡になります。
山城ですが簡単に登れちゃいますよ。

まずは二の丸跡から攻めましょう。
二の丸跡に向かう登城路は、
山城の雰囲気が残る坂道でしたよ。
 

松尾城二の丸の登城路です。

松尾城二の丸の登城路です。

あっけなく二の丸跡に到着しました。
松尾城の二の丸跡はただの広場でしたが、
当時の曲輪には何があったのでしょうね。

 

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つぎに松尾城本丸を攻めます。

松尾城の本丸跡は、
入口から石段があります。
なんだか整備された公園のようです。

石段を登っていくと、
不ぞろいの自然石が積まれた石垣があり、
期待した(?)山城の雰囲気が出てきました。
 

大きな石を積んだ石垣が見えてきました。

大きな石を積んだ石垣が見えてきました。

島津義弘が築かせた石垣

この自然石の石垣は、
江戸城を築いた太田道灌の子孫に、
島津義弘が命じて築かせたものです。

自然の石を積み上げた石垣です。
本丸近くは枡形虎口になっていて、
戦上手な義弘の思わくが感じられます。
 

石垣は枡形虎口になっていました。

石垣は枡形虎口になっていました。

鹿児島にある中世の山城は、
土を掘った堀切が多いのですが、
こんな石垣のある城は珍しいですね。

島津義弘が築かせた、
石垣を目の前で見ていると、
当時に思いを馳せてしまいました。
 

石垣を築かせた当時に思いを馳せます。

石垣を築かせた当時に思いを馳せます。

松尾城の本丸跡に着きました。

松尾城の本丸跡に到着しました。
本丸跡は意外に広く、
主郭の雰囲気が漂っています。

本丸の先の方に、
松尾城の城址碑もありました。
ここに島津義弘の舘があったのですね。
 

松尾城の本丸跡にある城址碑です。

松尾城の本丸跡にある城址碑です。

解説板によると、
島津義弘が植えさせたと云われる、
垣根が今でも残っています。
 

義弘公を身近に感じるお手植えです。

義弘公を身近に感じるお手植えです。

本丸の内部が見えない様に、
回りに目隠しとして植えたそうです。
何だか義弘を身近に感じる話ですね。
 

本丸の様子は、
こちらの動画をご覧くださいね。

松尾城本丸跡から見下ろす景色

松尾城の本丸跡からは、
麓の町と山々、そして川内川が見えます。
島津義弘も同じ山河を見ていたのです。

またこの松尾城から、
朝鮮に出兵したのかと思うと、

戦国島津氏の、
最強武将・島津義弘に、
またもや思いを馳せたのでした。
 
松尾城(栗野城)
鹿児島県姶良郡湧水町木場1036
駐車場 有り(城山運動公園)

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