薩摩川内市の高城町にある妹背橋は西郷さんが若い頃に手掛けた橋

鹿児島には、
西郷隆盛翁のゆかりの地が、
県内各地に沢山あります。

川内高城町に若いころの西郷さんが、
手掛けた橋があります。

妹背橋(いもせばし)と言います。
どんな橋なんだろうと、見てきました。

 

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妹背橋は薩摩川内市の高城町にある

妹背橋は、薩摩川内市の、
高城(たき)町にある妹背川に架かります。

コンクリートの橋にがっかりしました。</span>

コンクリートの橋にがっかりしました。

妹背橋は石橋を想像していましたが、
コンクリートで作られた、
どこにでもあるような橋でした。

なんだあ、これか
正直に言いますとガッカリしました。

この妹背橋は4代目の橋になるそうですよ。

今あるのは4代目の妹背橋。

橋のたもとに案内板があり、
それによりますと、現在の橋は、
妹背橋の4代目になるそうです。

西郷さんの妹背橋について案内があります。

初代の妹背橋は木造で老朽化のために、
2代目の妹背橋として、
頑丈な石の橋が作られました。

2代目は石橋眼鏡橋で、
とてもきれいな橋だったといわれます。
この橋の工事に西郷さんが関りました。

案内板には2代目の妹背橋の、
写真が載せられていますよ。

これが西郷さんが手がけた2代目の妹背橋。

これが西郷さんが手がけた2代目の妹背橋。

西郷さんは農政の役人でした。

西郷さんの役職は、
郡書役助(こおりかきやくたすけ)で、
農政の役所で事務補佐の役人だったのです。

西郷さんは、
郡書役助の仕事として、
妹背橋の工事に関わりました。

工事費用の算段や材料の確保など、
橋の工事に関するこまごまとした事を、
こなしていたわけです。

 

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西郷さんが使った手水鉢。

妹背橋の工事は3年程かかりました。
その間は、西郷さんは、
近くの民家に寝泊りしていました。

西郷さんが泊まっていた、
宮園さんのお宅には、
西郷さんが使っていたと云われる、
手水鉢(ちょうずばち)が残っています。

ここで毎日、西郷さんが、
手や顔を洗っていたのかと思うと、
とても身近に感じてしまいました。

西郷どんの手水鉢が残っています。

高城周辺には薩摩街道がある

手水鉢が置いてある、
前の小さな道は、
薩摩街道と呼ばれる道でした。

この薩摩街道は、
参勤交代にも使われました。

薩摩街道沿いは、
にぎやかで通行も多かったはず。

老朽化した木造橋を、
頑丈な石橋の妹背橋に、
建て替える必要があったのでしょうね。

参勤交代にも使われた薩摩街道です。

若き日の西郷さんを思いました。

薩摩川内市にある、
妹背橋に行ってきました。
そして若い日の西郷さんに触れてきました。

今の妹背橋は、昔の面影はありませんが、
近くにある手水鉢や薩摩街道の跡をみて、
若き日の西郷さんに思いをはせてきました。

妹背橋(いもせばし)
鹿児島県薩摩川内市高城町妹背橋
鹿児島市方面から国道3号線を北上、
上川内の信号を県道341号線に右折、
川内京セラ工場の先にあります。

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