指宿市の池田湖にある島津斉彬が考案した鳥越堀切と決湖碑。

 
鹿児島県の薩摩半島は、
見どころが多くて、
ドライブコースとして人気です。

その中でも、
開聞岳や池田湖周辺はおすすめです。

池田湖は、
九州最大のカルデラ湖で、
とても神秘的な湖ですよ。

 

スポンサーリンク

指宿市の池田湖にある島津斉彬が考案した鳥越堀切と決湖碑。

池田湖のそばには、
そうめん流しで有名な、
唐船峡(とうせんきょう)があります。
 

さらに唐船峡の近くに、
薩摩藩から明治維新の頃に、
行われた灌漑工事の跡が残っています。

せっかく池田湖に行ったのなら、
池田湖の裏側にある、
歴史の史跡に行ってみましょう。

鳥越堀切の灌漑工事の跡。

その場所は、
鳥越堀切(とりごえほりきり)です。

どんな工事かと言いますと、
池田湖の水を灌漑用水に、
使うというものです。

そのために、
池田湖の中で一番低い壁の、
鳥越堀切を掘削して水を出す計画です。
 

池田湖の一番低い壁の鳥越堀切を掘削。

池田湖の一番低い壁の鳥越堀切を掘削。

島津斉彬が考案しました。

この工事を提案したのが、
薩摩の28第藩主である、
島津斉彬(しまずなりあきら)です。

島津斉彬は、
指宿の殿様湯で過ごしながら、
指宿の周辺を視察していました。
 

そのなかで、
指宿が火山灰土で水利に乏しく、
田んぼが少ないことを憂いてました。

 

スポンサーリンク

斉彬の考えに基づきました。

島津斉彬は、
集成館事業など、近代化を、
推し進めたことで知られます。

一方、「国の本は農である
という考えを持ち、
指宿の灌漑事業に取り組みました。

しかし、斉彬の突然の死や、
明治維新により灌漑工事が中断しました。

後世に人々に引き継がれました。

その後、明治5年に、
この工事を再開したのが、
県令の大山綱吉です。

莫大な費用と、
10万人を越える人々を使い、
明治9年に完成しました。

この工事で池田湖は、
河川とつながり、開聞岳一帯が、
一大農業地帯に育ちました。
 

池田湖の水で開聞岳周辺は一大農業地に。

池田湖の水で開聞岳周辺は一大農業地に。

解説文と決湖碑があります。

鳥越堀切から、
流れる小川の横には、
工事の解説と決湖碑があります。

鳥越堀切から、
歩いてすぐ行ける場所ですよ。
目の前に開聞岳が見えます。

当時の工事の様子の、
古い写真もあります。
 

開聞岳の前にある池田湖の鳥越堀切と決湖碑

開聞岳の前にある池田湖の鳥越堀切と決湖碑

景色もいいけど歴史もね。

池田湖は、
素晴らしい湖です。
池田湖の駐車場から景色も素晴らしい。

でも景色も良いけど、
池田湖の裏側には歴史ある、
鳥越堀切の跡があるのですよ。

知っている人は少ないです。
あなたも鳥越堀切に行って、
薩摩の歴史に触れてみませんか。
 
鳥越堀切(決湖碑)
鹿児島県指宿市開聞町仙田1685-6

スポンサーリンク

鹿児島市内の観光情報はこちら

当ブログでは主に鹿児島県内の地方情報について紹介しています。
鹿児島市内の情報については、
鹿児島まち歩き 街案内をご覧ください。

 

タイトルとURLをコピーしました