今日は鹿児島の歩き方で、
鹿児島県志布志市に来ています。
ここにある志布志麓を散策します。
志布志麓は薩摩武士が暮らした町です。
昔の武家屋敷や街並みが残っています。
日本遺産にも認定された、
志布志麓のまち歩きを楽しみました。
志布志麓の場所
志布志麓(ふもと)は
鹿児島県志布志市にあります。
鹿児島市からは、
九州自動車道と東九州道を使い
車で約2時間かけて行きました。
志布志麓地区には、
観光客用の無料駐車場やトイレがあり、
麓の案内地図も用意されていますよ。
薩摩の麓とは
薩摩藩は外城(とじょう)制度と、
呼ばれる独自の体制を取っていました。
外城制度では、
領内の各地に麓と呼ばれる、
約110程の武士集落を置きました。
各地の麓の武士達は、
武芸の鍛練や農耕に従事して、
外敵の攻撃に備えていました。
日本遺産とは
また日本遺産とは、
文化庁が認定する日本各地に、
残る歴史的な文化財です。
各地域の文化や伝統を語る、
スト―リーを作ります。
薩摩麓のストーリーは、
薩摩の武士が生きた町の、
武家屋敷群「麓」を歩くです。
薩摩麓では鹿児島城を含む
11の麓が日本遺産に認定されました。
私もその一つ志布志麓を歩きます。
志布志城の下にある麓
薩摩麓の多くは山城の下にあります。
鹿児島はシラス台地で、
山城が作り易かったのです。
志布志麓も志布志城の下にあります。
志布志城は尾根に造られた、
四つの山城からなります。
その中の一つ・内城の下にある、
麓の町並を歩くことから、
志布志麓の散策を始めますね。
平山氏庭園から
志布志麓の駐車場から、
一番近いのが平山氏庭園です。
入口に案内板があります。
平山氏庭園は江戸時代初期に、
造られた寺院庭園です。
庭園を造ったのは住職と云われます。
天然石を利用した、
荒々しい造形の中にも、
サツキやツツジが咲きます。
内城入口に角地蔵
平山氏庭園から先に進むと、
志布志城(内城)の登城口があります。
入口の角には地蔵がありました。
角地蔵はここにあるのだから、
内城との関係が有るのでしょうかね。
また外城口には武家門もあり、
緑に染まった石壁が素敵です。
志布志麓の湧水群
志布志麓は志布志城の、
谷筋に伸びた武士集落ですので、
山の湧き水があちこちに湧きます。
内城入口の先にもあり、
ここには種田山頭火の歌碑があります。
放浪の歌人も志布志に立ち寄りました。
「飲まずには通れない水がしたたる」
ここの湧き水で喉を潤しました。
私も頂きましたが美味しい水でしたよ。
天水氏庭園は最奥部にあります。
麓の最奥部にあるのが、
天水(あまみず)氏庭園です。
武家門から石の階段を登ると、
庭園が突然に目に入ってきます。
縁側の前の庭園は、
江戸中期に造られたといわれます。
自然の岩盤に海石を配しています。
後ろの志布志城を借景にして、
造られた築山の庭が見事でした。
古民家カフ・ウラカフェでお昼
天水氏庭園から、
志布志麓の専用駐車場まで戻り、
松尾城の登城口がある道に入ります。
この道にも武家門があり、
志布志麓の雰囲気を感じられます。
道に入ってすぐにあるのが、
古民家カフェ・ウラカフェです。
志布志麓の古民家カフェ・ウラカフェ
ウラカフェの後は宝満寺
古民家カフェ・ウラカフェの後は、
前川沿いにある宝満寺跡に行きました。
宝満寺は鎌倉時代の古刹で、
お釈迦祭りが行われます。
再建された宝満寺観音堂に、
参拝して御朱印を頂きました。
宝満寺公園はこちらからどうぞ
津口番所跡
宝満寺観音堂の後は、
前川を河口の方へ下りました。
川沿いにある津口番所跡に行きました。
藩政時代の前川河口は、
志布志津と呼ばれ港として栄えました。
志布志津には多くの、
交易船の往来が多かったのです。
そこで津口番所で積み荷を調べました。
現在は津口番所の建物を、
取り囲んでいた独特の石組をした、
石垣が残っているだけです。
蔵奉行所跡
津口番所跡から、
前川の上流へ150m程の場所には、
蔵奉行所の跡の碑があります。
案内には、
江戸時代の川岸には、
年貢米の米蔵が立ち並び、
蔵奉行所には鹿児島城下から、
役人が派遣されそうです。
前川河口は賑わっていたのでしょうね。
最後に大慈寺に参拝
志布志麓の散策は、
最後に室町時代に創建された、
禅寺・大慈寺に参拝しました。
大慈寺は志布志市役所の隣りにあり、
大慈寺本堂前は凛とした雰囲気です。
以上、薩摩武士が暮らした、
志布志麓の主な場所を紹介しました。
貴方も志布志麓を散策して、
志布志の歴史を楽しんで見ませんか。
志布志麓無料駐車場
鹿児島県志布志市志布志町志布志帖6380