鹿児島県の南大隅町から、
佐多街道(国道269)を佐多岬方面に進む。
すると錦江湾沿いに台場公園に着きます。
ここには薩英戦争に備えた台場跡があります。
台場公園には薩英戦争に備えた砲台の跡がある
佐多街道を南下すると、
台場公園の看板が見えてきます。
台場公園は駐車場も広くて、
きれいに整備された公園でした。
台場跡は砲台跡のこと。
この台場公園は、
薩摩の歴史を物語る場所です。
どんな歴史かと言いますと、
薩摩の一つの藩が、
英国という大国と戦ったことです。
薩英戦争の時の大砲が、
すえられた砲台の跡が、
「台場」と呼ばれた場所なのです。
薩英戦争が起こります。
公園には、史跡 台場跡の、
案内板があります、それによると。
文久2年に島津久光の一行が、
薩摩に帰る途中で、
生麦(なまむぎ)事件を起こします。
生麦村(現横浜市)で、
行列を乱した英国人達を、
薩摩藩士が殺傷してしまいます。
このことが原因となって、
薩英戦争が始まります。
錦江湾沿いに台場を設置。
薩摩藩は、英国艦隊の、
錦江湾への来攻を察知して、
沿岸の警備を固めます。
錦江湾の各地に砲台を、
設置しますが、その内の一つが、
この台場跡なのです。
薩英戦争の際には、
ここから発射する機会は、
ありませんでした。
そのおかげで、
当時の台場の原型を、
はっきりととどめている、
貴重な史跡になっているのです。
砲台がすえられています。
石で組まれた台場には、
砲台がすえられています。
ただしレプリカの砲台ですが。
しかし、石垣のくぼみが、
当時のまま残っている場所に、
砲台がすえられました。
レプリカとはいえ、
当時のままの台場跡にあるので、
本物さながらに見えますよ。
島津斉彬の足跡もあります。
台場公園内には、
島津斉彬(なりあきら)公の、
足跡も残っています。
それは、斉彬公が、
この地を視察に訪れた際に、
使用したと伝わる手水鉢です。
大隅の各地を、
巡察していた斉彬公は、
ここで休憩をされたそうです。
斉彬公の先見の明。
島津斉彬公は、
島津家28代の当主で名君でした。
西郷隆盛を見出し引き立てたり。
旧集成館事業で、
自前の大砲を作るなど、
薩摩の近代工業化を進めます。
また外国の圧力に対して、
海防の防備として各地に砲台を築かせます。
ここ台場の地を視察した、
10年後に薩英戦争が始まります。
この手水鉢を見ていると、
斉彬公の先見の明を、
感じてしまうのでした。
国道沿いですので、
根占の地を通る際は台場公園に、
立寄られてみてはどうでしょうか。
台場(だいば)公園
鹿児島県肝属郡南大隅町根占辺田608-1
問合せ 0994-24-3115(南大隅町)
駐車場 10台
休日 無し
料金 無料
山川・根占フェリーの根占港から
国道269号線を車で約10分南下する
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