今日は出水市にある、
野間之関所の跡を紹介します。
江戸時代に、
肥後(熊本県)との国境にあった、
取締りが日本一と言われた関所です。
野間之関所をフィールドワーク
野間之関所の跡に来たのは、
グランドマスターの、
フィールドワークの途中でした。
グランドマスターとは、
鹿児島の観光・文化検定の、
最終試験に合格した人達です。
いわば鹿児島の物知り達ですね。
それが知識だけでなく、
実際に現地を見てみようというのが、
フィールドワークなのです。
出水周辺は、
歴史的にも重要な史跡が多く、
歴史探索を楽しめる場所ですよ。
関ヶ原の戦いの頃から。
野間之関が設けられたのは、
関ヶ原の戦い(1600年)前後です。
関ヶ原の戦いで名を馳せた、
島津義弘は国境の警備を、
出水の地頭たちに守らせたそうです。
それ以来、
代々の地頭の主な任務は、
野間之関での国境警備になりました。
取締りの厳しさは日本一。
江戸時代は、
各国(藩)の自由な通行を禁止して、
国堺には関所を設けていました。
徳川幕府は時代を経るごとに、
関所の警備は次第に、
ゆるくなったといわれます。
しかしここ野間之関所は、
通行の取締りを緩めず、
その厳しさは全国に知られていました。
案内板で野間之関の様子を知る。
野間之関跡の案内板がありました。
そこには、当時の厳しい、
取締りの様子が紹介されています。
ここで足止めされた人の中には、
江戸時代後期の尊王思想家・高山彦九郎や、
歴史学者の頼山陽らがいました。
高山彦九郎(たかやまひこくろう)は、
約3週間も入国を許されなかったので、
関所の厳しさを歌に書き残しています。
野間之関跡の石碑。
時代が進み、
明治維新で廃藩置県が行われると、
野間之関も廃止されました。
その野間之関の跡地に、
国境警備のかなめであったことを、
後世に伝えるために石碑が建てられました。
石碑の正面の文字、
「野間之関趾」は、
東郷平八郎元帥の書だそうです。
自由な通行のありがたさ。
グランドマスター達と、
野間之関所の跡を見てきました。
そこでは、
野間之関が取っていた厳しさに、
薩摩藩の独自性を感じました。
と同時に、
日本全国を自由に行き来できる、
現代の有難さを感じたものでした。
野間之関跡
鹿児島県出水市下鯖町2577番地
営業 通年、無休で無料
駐車場 10台
問合せ 0996-63-2111(出水市観光課)
九州新幹線・肥薩おれんじ鉄道
「出水駅」から車で10分
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