鹿児島県の北部、出水市、
その周辺は、薩摩と肥後の国堺のために、
それにまつわる史跡があります。
それらを見て廻ろうやってきたのが、
鹿児島検定のグランドマスターの、
フィールドワークです。
さかい川をフィールドワーク
鹿児島検定は、
鹿児島の観光文化の検定試験です。
まあ、鹿児島の物知りさんですね。
検定試験は3段階に分かれていて、
その最難関の試験に合格した人が、
グランドマスターの方々です。
そしてグランドマスター達が、
実際に現地を訪れて見るのが、
フィールドワークなのです。
私もその一員として、
出水市にある様々な史跡を、
訪ねてきました。
境川にかかる石橋。
訪れたのは境川、
とそれにかかる石橋のさかい橋です。
境川は薩摩と肥後の県境にある川です。
国境の大きな川を想像していましたが、
なんと小さな谷川です。
しかもそれにかかるさかい橋は、
10メートル程の長さの橋で、
とても国境とは思えません。
有史以来の攻防の場所でした。
小さな川といえども、
やはり国境ですので、有史以来、
いくたの抗争があったそうです。
江戸時代は、
防備を考えて橋はありませんでした。
人々は飛び石を伝って渡ったのです。
今は自由に通行できますが、
江戸時代は、薩摩と肥後が、
にらみをきかせていた場所だったのです。
野間之関のそばでした。
境川を越えて、
薩摩の領地に入るとすぐに、
野間之関と呼ばれた関所があります。
野間之関は、
日本一取締りが厳しい関所として、
全国に知れ渡っていました。
よっぽど薩摩は、
よそ者が入ってくるのが、
いやだったのですかね。
ちなみに境川から薩摩側の場所は、
切通(きずし)という地名ですが、
「ここで切るか、通すか」と、
言われたのが地名になったそうです。
怖い場所だったのですね。
薩摩街道の道でした。
でも境川をわたる道は、
薩摩街道と呼ばれた道だったのです。
さかい橋のたもとに、
薩摩街道の標識が立っています。
薩摩から江戸につながる街道です。
江戸時代の参勤交代も
この街道をつかったそうです。
島津の殿様もこの川を渡ったのでしょうね。
さかい橋は明治になってから。
さかい橋は、
明治になって廃藩置県の後に、
架けられた石橋です。
肥後の石工がかけた石橋は、
明治になって多くの人々が、
往来した事でしょう。
いまは、その役目を終えて、
苔むした石橋が、静かに、
小川の上でたたずんでいます。
境川とさかい橋でした。
今日は、グランドマスターの、
フィールドワークで、
境川とさかい橋を見てきました。
小さな小川と、
草と苔におおわれた石橋に、
江戸時代に思いをはせました。
薩摩と肥後の国境に、
当時の厳しさを感じるとともに、
自由に通行できる現代に、
有難さを感じたものでした。
さかい橋と境川
鹿児島県出水市切通
国道3号線を水俣方面に向かい
切通バス停を右折して、
突き当りを左折して100m
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