鹿児島県、薩摩川内市を流れる、
一級河川の川内川は、
九州では築後川に次ぐ大きな川です。
その川内川の河口に、
日本にキリスト教が伝来した時の、
歴史の足跡が残る場所があります。
それは京泊教会(天主堂)の跡です。
余り知られていない史跡ですが、
歴史の足跡を見たくて歩いてきました。
京泊教会(天主堂)の場所
京泊教会(天主堂)が、
建っていた場所は川内港ターミナルの、
前にある小高い丘の上です。
川内港ターミナルが見える丘の上。
川内川の河口には、
甑島へ渡る高速船が出る、
川内港ターミナルがあります。
その川内港ターミナルの前に、
小高い丘があるのですが、
そこに京泊教会(天主堂)があるのです。
京泊という地区にあります。
京泊教会が建てられていたのは、
京泊(きょうどまり)という地区です。
京泊は藩政時代に栄えた港町です。
京へ往来する船が停泊し、
参勤交代の海路の起点でした。
昔の石垣が残る道を進むと、
京泊教会跡地に続く、
坂道の入口があります。
京泊教会跡地に到着しました。
最初、こんな場所に、
その昔に、教会(天主堂)が、
あったなんて少し意外な感じがしました。
坂道を登りつめると、
木木に囲まれた空き地に出ました。
ここが京泊教会跡地です。
意外と狭い場所でした。
こんな場所に教会が立っていたのですね。
ロザリオの聖母聖堂。
京泊に建てられた教会は、
ロザリオの聖母にささげられた、
ロザリオの聖母聖堂(天主堂)でした。
この教会は、
日本で最初の教会の、
ひとつであるといわれています。
また同時に
ハンセン氏病患者の、
療養所も開設されていたそうです。
京泊教会(天主堂)の歴史
京泊教会跡地の案内板が、
京泊教会の歴史を語ってくれています。
マニラのドミニコ会。
京泊教会を建てたのは、
フィリピン・マニラのドミニコ会の、
フランシスコ・デ・モラーレス神父らの、
4人の宣教師と1人の修道士でした。
最初に建てたのは修道院で、
甑島(こしきじま)だったそうです。
慶長7年(1602年)のことです。
なんで甑島なんだろう、と思ったら、
当時の薩摩・島津氏が、
甑島だけの布教活動を許可したからです。
1606年に京泊に移動しました。
甑島での布教活動は、
思わしくなく(人が少ないから?)
また修道院が台風で倒壊しました。
そこで、
当時の領主・島津家久は、
甑島から京泊に移ることと、
また、この地に教会を、
建築することを許可しました。
薩摩からの退去命令を受ける。
京泊教会を拠点に、
精力的に布教活動を行っていましたが、
1609年に薩摩からの退去命令が出ます。
宣教師たちは、
この教会を解体して、
長崎に移っていきます。
そして解体した材木で、
長崎にサント・ドミンゴ教会を建てました。
宣教師たちは、
島津氏の変わって行く、
思わくに翻弄されたのですね。
ザビエルから半世紀後のこと。
日本へのキリスト教伝来は、
フランシスコ・ザビエルが、
鹿児島に上陸してからですよね。
当時の領主・島津貴久に、
伊集院の一宇城で謁見し、
布教の許可をもらうのです。
ドミニコ会の京泊教会ができたのは、
それから半世紀後のことです。
いずれの時も島津氏は、
宣教師等を通じて南海貿易を、
するのが目的だったようです。
京泊教会で思いをはせる。
京泊教会跡地で、
ドミニコ会の宣教師たちに、
思いをはせました。
遠い昔に、
短い期間ではありましたが、
ここに教会があったのです。
苦労しながら布教をしていた、
宣教師たちがいたかと思うと、
感慨深いものがありました。
こちらからどうぞ。
京泊教会(天主堂)跡
鹿児島県薩摩川内市港町
駐車場 駐車場はありません、
(川内港ターミナルを利用)
川内港ターミナルから徒歩10分
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