【戦国島津詣】大乗寺跡には悲劇の戦国武将・島津歳久の墓がある

 
戦国島津詣のツアーで、
日置市日吉町にある大乗寺跡を訪ねました。

大乗寺跡には島津貴久の息子の、
島津歳久のお墓があります。
歳久は島津4兄弟の3男になります。

 

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大乗寺跡の場所

大乗寺があるのは、
鹿児島県日置市日吉町です。

日吉町のお田植え祭り、
せっぺとべが奉納される、
日吉八幡神社の奥にあります。

隣には薩摩焼の窯元・南洲窯があります。
南洲窯は西郷隆盛のひ孫にあたる、
西郷隆文氏が開いてます。

大乗寺はこの石段の上にあります。

大乗寺はこの石段の上にあります。

石段を登っていきます。

大乗寺跡へは石段を登ります。
登り口に大乗寺の案内板があります。

ここが大乗寺跡になります。

ここが大乗寺跡になります。

石段に使われている石は、
不揃いなものがあり、
それが古いお寺の雰囲気になっています。

古寺の雰囲気がある不ぞろいな石段

古寺の雰囲気がある不ぞろいな石段

石段を登りつめると、
南洲窯のギャラリーがありました。

大乗寺跡につながる道の脇には、
陶で作ったモニュメントのような、
大きな苔むした焼き物がありました。

南洲窯で焼かれたのでしょうね。

南洲窯で焼かれたのでしょうね。

更に大きな解説板があります。

それによると、
大乗寺は島津15代当主の、
島津貴久の夫人・雪窓が建立しました。

大乗寺の解説をして頂きました。

大乗寺の解説をして頂きました。

曹洞宗のお寺で、
日置島津家の菩提寺のひとつです。
歴代の当主のお墓が並んでいます。

大乗寺は日置島津家の菩提寺です。

大乗寺は日置島津家の菩提寺です。

現在は明治2年の廃仏毀釈で、
お寺は廃寺になりましたが、
墓石のみが残されています。

島津歳久のお墓がありました。

墓地の中央に、
島津歳久のお墓がありました。

島津歳久は、
日置島津家の初代当主になります。

島津歳久公のお墓がありました。

島津歳久公のお墓がありました。

文禄4年(1595)に日置島津家3代、
島津常久が歳久の冥福を祈るために、
日置島津家の菩提寺としました。

 

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悲劇の智将と言われます

島津歳久は島津4兄弟の3男で、
戦いでは武功をあげる智将でした。

豊臣秀吉に降伏しないで、
反抗的な態度を取ったために、
秀吉の命で自刃に追い込まれます。

自刃したのは、
鹿児島市の心岳寺というお寺です。

廃仏毀釈で廃寺になった後は、
現在は平松神社に変わり、
歳久公を御祭神として祀られています。
 

心岳寺跡(現・平松神社)には、
島津歳久公と家臣の墓もあります。
平松神社についてはこちらから。

龍の手水鉢がすごいです。

島津歳久公のお墓の前には、
素晴らしい手水鉢があります。

なんと龍が手水鉢を、
大事そうに抱えているではありませんか。

龍が手水鉢を抱えていました。

龍が手水鉢を抱えていました。

保存状態も良く、
そのままの形で残っています。
こんなの初めて見ました。

更に仁王像が力強い。

お墓を守るように立っているのは、
阿吽(あうん)の2体の仁王像です。

阿形の仁王様は、
おそらく廃仏毀釈の跡でしょう。
腕と顔に傷が残っています。

阿型(あがた)の仁王像は痛々しい。

阿型(あがた)の仁王像は痛々しい。

吽型の仁王様はしっかりと、
たくましい体が残っています。
しかも肩の筋肉がすごいです。

吽型(うんがた)の仁王像は大丈夫でした。

吽型(うんがた)の仁王像は大丈夫でした。

今まで見た中では、
力強さでは一番の仁王様でした。

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日置島津家の歴代当主のお墓

大乗寺跡には、
日置島津家歴代当主のお墓が並びます。

日置島津歴代当主の墓が並びます。

日置島津歴代当主の墓が並びます。

さすが当主のお墓です。
その施された意匠が凝っています。

大乗寺で戦国島津詣でした。

日置島津家の菩提寺である、
大乗寺跡のお墓に参ってきました。

初代当主の島津歳久の、
お墓にも参ってきました。

大乗寺跡の龍の手水鉢と、
力強い仁王様にも出会えました。

大乗寺跡
鹿児島県日置市日置5681
日置市日吉支所より車で約5分


 

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