鹿児島県姶良市の黒川岬は錦江湾の名前が生まれた風光明媚な岬。

 
加治木町の黒川岬を紹介します。
現在は黒川岬展望公園になっています。

目の前に錦江湾が広がる、
風光明媚な場所ですが、
戦国時代の戦いの跡でもあります。

 

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鹿児島県姶良市の黒川岬は錦江湾の名前が生まれた風光明媚な岬。

黒川岬展望公園があるのは、
鹿児島県姶良市加治木町です。

日木山川の河口にあります。
加治木町の市街地を走る、
国道10号線を進みます。

日木山川にかかる橋の手前の、
日木山信号を右折して日木山川沿いに、
進むと黒川公園があります。

黒川岬は風光明媚な場所。

黒川岬展望公園は、
錦江湾と桜島が展望できます。

展望公園といっても、
小さな敷地に黒川岬の碑があり、
トイレや駐車場が整備されています。
 

黒川岬展望公園にはトイレと駐車場も完備

黒川岬展望公園にはトイレと駐車場も完備

しかし目の前には、
錦江湾が広がり雄大な桜島があり、
とても気持ちの良い場所です。
 

黒川岬の前には桜島と錦江湾が広がります。

黒川岬の前には桜島と錦江湾が広がります。

島津氏と肝付氏の戦があった。

黒川岬の解説板がありました。
それによりますと、
ここは昔の古戦場の跡とのこと。

時は天文18年(1549年)の6月に、
島津氏と肝付氏との間で、
黒川崎合戦が行われたそうです。

戦いを記録した文献によると、
両者は一町(100m)もない距離で、
対峙したとあります。
 

この近くで島津氏と肝付氏が戦いました。

この近くで島津氏と肝付氏が戦いました。

鉄砲が初めて使われた戦です。

戦いでは、鉄砲が使われ、
人々の耳目を驚かしたと、
文献には書かれています。

そのことから、
日本の戦で初めて鉄砲が使われた、
場所であると云われています。
 

黒川岬の合戦が初めて鉄砲を使った戦

黒川岬の合戦が初めて鉄砲を使った戦

天保12年が種子島に鉄砲が、
伝わった年ですから、6年後であれば、
鉄砲も広まっていたでしょうね。

ただ戦での鉄砲の初めて使用は、
いろいろ説があるようですが、
黒川﨑合戦での鉄砲は間違いないようです。

 

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錦江湾の名前が生まれた岬

また黒川岬には歌碑があります。
これは薩摩藩主の島津家定の和歌です。
黒川岬の眺望に感動して、

「浪のおりかくる錦は
磯山の梢にさらす花の色かな」
と詠いました。

この歌が錦江湾の名前の由来に、
なっていると云われます。
へえ、知りませんでした。
 

錦江湾の名前の由来になった歌碑。

錦江湾の名前の由来になった歌碑。

黒川岬って歴史の跡がありますね。
島津氏の戦いや和歌を詠む藩主など、
歴史ロマンを感じさせる場所でした。

黒川岬展望公園でした

今日は姶良市加治木町にある、
黒川岬展望公園に行ってきました。

錦江湾と桜島の展望も良く、
歴史ロマンも感じられる公園でした。
 
黒川岬展望公園
鹿児島県姶良市加治木町反土17-12
問合せ先  0995-62-2111
(姶良市加治木支所地域振興係り)
駐車場  有

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