鹿児島の歩き方です。
今日は寺島宗則記念館に来ています。
鹿児島の偉人の一人に、
寺島宗則(てらしまむねのり)がいます。
彼は明治政府の外務卿として活躍しました。
また日本電信の父とも呼ばれた彼が、
幼少期を過ごした築180年の旧家が改修され、
寺島宗則記念館としてオープンしました。
寺島宗則記念館の場所。
寺島宗則記念館があるのは、
鹿児島県阿久根市の脇本です。
最寄りの駅は、
肥薩おれんじ鉄道の折口駅で、
車で約20分程の場所です。
脇本は長島への途中にあり、
脇本海水浴場や寺島の、
海の景色が美しい所です。
天保年間の築180年の旧家でした。
実は私もここ脇本で生れました。
両親や先祖の墓もあり、
年に2回以上墓参りで訪れます。
それでこの寺島宗則の旧家は、
知っていましたので訪れていました。
しかし天保年間に造られた屋敷は、
老朽化が進み、台風の影響を受けて、
ブルーシート屋根の状態でした。
保存活用のプロジェクトが発足
そこで阿久根市は、
寺島宗則旧家保存活用プロジェクトで、
旧家を改修して有効活用を考えました。
脇本にある歴史的遺産を、
地域活性化に役立てようとしました。
また地元有志の方が集まり、
「寺島会」をつくり記念館での、
ガイドやおもてなしをしてくれます。
寺島宗則とはどんな人物。
ここで寺島宗則について、
どんな人物か説明しますね。
1832年(天保3年)に生まれましたが、
5歳で叔父の松木家の養子になります。
医者の叔父に伴って長崎で蘭学を学びます。
15歳で薩摩藩より命じられ、
江戸で蘭学を学んだ後に、
薩摩藩の藩医になります。
また薩摩藩英国留学生を引率して、
英国に渡り見聞を広めます。
明治維新後は新政府の外務卿となり、
不平等条約の改正に努めました。
寺島宗則旧家の中。
寺島宗則の旧家は広く、
屋根の梁が見える旧家の造りです。
奥の部屋に設置されたモニターに、
映像が流れ寺島宗則が活躍した時代の、
歴史がグループで学べますよ。
でも何と言っても、
海に面した広い座敷がいいですね。
目の前の寺島を見ることができます。
松木弘安から寺島宗則と、
名前を変えたのは故郷の海に浮かぶ、
この寺島を思い出したのでしょうね。
寺島会が活躍します。
この座敷で行われるのが、
寺島会の方々が演じる紙芝居です。
もちろん寺島宗則の生涯についてです。
今日は家族会の予約があり、
親御さんとお子様たちが、
紙芝居で寺島宗則の事を学びます。
紙芝居なんて懐かしいですね。
高齢者の私も子供達と一緒になって、
久しぶりの紙芝居を楽しみました。
手作りの月桃団子も頂きました。
寺島会の方々が作った、
月桃団子も頂きました。
これは家族会の方に用意したもの。
私はたまたま家族会の訪問と、
同じ時間に居合わせましたので、
月桃団子も頂くことが出来ました。
紙芝居もお菓子も、
寺島会の行うおもてなしです。
事前の予約がいるとのことですよ。
ガイドの方が常駐しています。
また寺島宗則記念館には、
ガイドさんがいて常駐していました。
ガイドさんは、
寺島宗則の家系図を使いながら、
より詳しく教えて頂きました。
歴史好きな方には、
喜ばれそうな話が聞けますよ。
養母が建てた石塔があります。
寺島宗則記念館の庭には、
寺島の養母が建てたと云われる、
石塔が残っています。
寺島は幼少の頃より、
勉学のために各地に良く出かけたので、
寺島の無事を石塔に祈ったそうです。
とても信心深い方だったようですね。
石塔に刻まれた、
松木弘安の文字があります。
寺島宗則記念館に行ってきました。
今日は寺島宗則記念館に行って、
ガイドの方のお話や紙芝居で、
寺島宗則の事をより知りました。
地元のおもてなしグループの、
寺島会の方々が迎えてくれました。
帰る際には、前の海に浮かぶ、
寺島がお見送りをしてくれました。
寺島宗則記念館
鹿児島県阿久根市脇本8978‐1
電話 0996-73-1114(阿久根市商工観光課)
営業 10:00~17:00
定休 火曜日、12/29~翌年1/3
料金 無料
駐車 有(無料)
肥薩おれんじ鉄道折口駅から車で約10分
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