鹿児島県鹿屋市の高須は西郷南洲翁が西南戦争の契機になる事件を聞いた港町です。

鹿児島市から鴨池・垂水フェリーで、
大隅半島に渡りました。

大隅半島にも、
歴史を感じる場所や、
自然あふれる場所が沢山あります。

訪ねたのは高須のまち、
ここは西郷隆盛のゆかりの地です。
高須の西郷どんの足跡を紹介しますね。

 

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鹿児島県鹿屋市の高須は西郷南洲翁が西南戦争の契機になる事件を聞いた港町です。

高須(たかす)は、
鹿屋市の南西にあり、
高須海岸に広がったまちです。

高須海水浴場は、
錦江湾や開聞岳が一望できる、
マリンスポーツの拠点でもあります。

高須のまちには、
高須川が流れて河口には、
昔からの家並みが続いています。
 

高須川の河口にまちが広がります。

西郷さんのゆかりのまち。

その高須川の川沿いに、
西郷隆盛翁のゆかりの場所が、
あるのです。

この高須は、西郷さんの、
ゆかりのまちであることは、
意外と知られていないのです。

わたしも何度か高須のまちを、
通り過ぎましたが、
そんなことは知りませんでした。

高須の案内看板ができました。

この度、高須のまちが、
西郷さんのゆかりの地である事を、
紹介する案内看板ができました。

その案内によると、
西郷さんは狩猟が好きで、
大隅にも足を延ばされました。

そして年に幾度も、
この高須にも宿泊されました。
 

西郷南洲翁ゆかりのまち・高須の看板

高須川沿いに宿泊されました。

西郷さんが宿泊されたのは、
高須川沿いの田中吉右衛門さんの
お宅であったそうです。

西郷さんは、この家を基地にして、
小根占(現南大隅町)まで行かれ、
大隅の山野で狩猟を楽しみました。

案内看板には、
西郷さんが宿泊された家の、
写真(昭和初期に撮影)があります。

 

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高須は歴史的な場所です。

明治10年に西南の役が始まります。
その直前にも西郷さんは、
この高須に滞在していました。

私学校の生徒達が事を起こし、
それが西南の役のきっかけになります。
その報を聞いたのが高須でした。

「ちょ、しもた。(しまった。)」と、
思わず、言ったそうです。
そして急きょ、帰ることになりました。
 

看板の向こうの家が宿泊された家があった場所。

宿泊した家の跡地の碑。

案内看板の向こうに見えるのが、
当時の田中吉右衛門さんの、
家があった場所です。

現在、当時の家はなく、
跡地には新しい家が建っています。

そこには、
西郷南洲翁最後之宿泊地の、
記念する石があります。
 

西郷南洲翁最後之宿泊地の記念石。

西南の役が始まります。

高須におられた西郷さんのもとへ、
鹿児島から迎えの船がやってきます。

この宿泊地の前を流れる、
高須川から船に乗り、
錦江湾を急いで鹿児島に向かいました。

海を走る船は早さは、
まるで「翔ぶがごとく」でした。
 

高須川沿いの船着き場から鹿児島に急ぎました。

西郷さんのゆかりの高須。

司馬遼太郎の西郷さんの小説、
「翔ぶがごとく」は、1990年の、
NHK大河ドラマになりました。

また来年(2017)の大河ドラマは、
林真理子の「西郷どん」が、
放映されることになりました。

ドラマの中で、
高須から鹿児島に帰るシーンが、
あるのかはわかりませんが。

高須のまちが、
西南の役が始まる直前の、
最後の宿泊地として、
西郷さんゆかりの地なのです。
 
西郷南洲翁ゆかりのまち・高須の案内板
鹿児島県鹿屋市高須町
県道68号(佐多街道)と高須川の交差点
垂水港から車で約40分
 

 

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