宮崎県小林市の生駒高原で、
コスモスを見た後に立寄ったのは、
宮崎県えびの市の飯野城跡です。
飯野(いいの)城は薩摩の戦国武将、
島津義弘が30歳から56歳まで、
居城として過ごした山城です。
飯野城の本丸跡で、
島津義弘公に思いをはせました。
飯野城の場所
飯野城があるのは、
えびの市原田という場所で、
標高50m程の丘の上にあります。
えびの市を走る国道221号の、
飯野中学校入口の信号交差点を、
川内川がある山側に進みます。
川内川を越えた所に、
亀城の看板があります。
現在は亀城公園として整備されています。
飯野城の別名は亀城
飯野城は別名を亀城か、
鶴亀城と呼ばれています。
それで亀城公園なのですね。
飯野城までの途中にあったのは、
史跡 飯野城跡の解説板です。
飯野城の歴史
飯野城の築城は、
永暦元年(1,160年)に
日下部重貞が入城しました。
さらに康永四年(1,345年)に、
北原兼幸が城主になります。
そして永禄七年(1,564年)には、
島津義弘が城主となり29年間、
この真幸院の地を治めます。
大手門がありました。
解説板からそのまま進み、
山に差し掛かると、
何やら門らしきものがあります。
ここは飯野城の入口で、
大手門があった場所です。
新たに造られた、
大手門ですが門をくぐると、
何だかワクワクしてきました。
門の先には駐車場がありました。
ここは飯野城の曲輪(くるわ)の、
一つで射場があった場所です。
すぐ先に本丸跡がありました。
大木の元に標識があり、
本丸跡、二之丸、三の丸と記されています。
やはり目指すは本丸跡ですね。
舗装された坂道を進みます。
すると、あっさりと本丸に到着。
5分程の本丸跡には、
亀城跡の碑と解説板があります。
本丸跡の見取り図が書かれています。
それと「飯野城と島津義弘」の、
解説板には島津義弘の、
戦国武将として生涯が紹介されます。
島津義弘公と飯野城
島津義弘公は薩摩の伊作城に生まれ、
日置市の一宇治城で年期を過ごし、
飯野城は30才から56才まで居城します。
えびのや小林一帯の、
肥沃な土地の真幸院(まさきいん)を、
日向の伊藤氏と争奪していました。
その戦いの中では、
少ない手勢で伊藤軍に大勝した、
木崎原の戦いは有名です。
その後、栗野の松尾城に移るまで、
九州をほぼ制覇するまで、
飯野城に居城しました。
そんな島津義弘が居た、
飯野城本丸跡に立つと、
当時に思いをはせました
物見曲輪からの眺め
本丸の先にあるのは、
物見曲輪(ものみくるわ)の跡です。
ここは見張り台ですね。
飯野城の物見曲輪の跡です。
物見曲輪の跡も整備されて、
公園のようになっていました。
見張り台からは、
えびの市が良く見えます。
真幸院を見張っていたのでしょうね。
飯野城跡に行ってきました。
えびのの飯野城跡に行ってきました。
島津義弘公の居城は、
亀城公園として整備されていました。
駐車場からすぐに行ける、
本丸や物見跡にもすぐ行ける、
手軽に登れる山城でしたよ。
島津義弘ゆかりの城
ここで島津義弘公の、
ゆかりの城を紹介しますね。
飯野城跡(亀城公園)
宮崎県えびの市大字原田
駐車場 有
鹿児島市内の観光情報
鹿児島の歩き方は主に、
鹿児島県内の情報をお伝えしています。