薩摩川内市入来町にある、
入来麓(ふもと)に来ています。
入来麓には、昔の武家屋敷や、
武士が暮らした町並が残っています。
それらの町並みを散策すると、
当時の武士の息吹が感じられます。
そのために時々入来麓を訪ねるのです。
入来麓とは
入来麓とは中世から江戸時代にかけて、
築かれた武士が暮らした集落です。
薩摩藩は外城制度により領内各地に、
110程の麓と呼ばれる武士集落を置きました。
入来麓もそんな武士集落の一つです。
入来麓には武家屋敷の母屋が残り、
街路には玉石垣や生垣があり、
美しい歴史的景観を今に伝えています。
そんな歴史的景観が残る入来麓は、
国の重要伝統的建造物群保存地区に
平成15年に選定されました。
日本遺産にも認定されました。
また令和元年になると、
入来麓と他の麓が日本遺産に認定されました。
薩摩藩領内にある110程の麓の内で、
武家屋敷、昔の町並みが残っている、
入来麓を含む12の麓が日本遺産に認定。
玉石を積んだ玉石垣
日本遺産に認定された麓を含め、
麓の町並を良く表わすものに生垣があります。
武家屋敷や街路は生垣で仕切られます。
入来麓の景観の特徴としてあるのは、
玉石を重ねて作った玉石垣と生垣です。
近くの樋脇川の自然石を使った、
独特の玉石垣とその上に植えられた、
イヌマキなどの生垣が町並みを造ります。
赤城神社が鎮座します。
入来麓の町並を散策していると、
古びた木造の鳥居が見えてきました。
武士集落で唯一の赤城(あかぎ)神社です。
もともと入来麓の山城清色城にありましたが
人が行き交うこの場所に移されたそうです。
ご祭神は月読之命(ツクヨミノミコト)
月を読むとは暦(こよみ)を読むことから
種まきや収穫、大漁の時期を知らせるので、
農耕の神や狩猟の神とされています。
いずれにしろ赤城神社は、
入来麓の産土神(うぶすなかみ)で、
入来麓を見守る神様だったのですね。
六地蔵もありました。
赤城神社には社殿はなく、
境内にあったのは六地蔵塔です。
六人の地蔵様が刻まれた塔です。
入来麓を治めた入来院氏が、
根付かせたものと云われます。
その後に、島津氏が戦の後で、
敵味方区別なく供養した
六地蔵塔を各地に建立しています。
かやぶき門は入来麓のシンボル
玉石垣の生垣の先に見つけたのは、
入来麓のシンボルとも云えるかやぶき門です。
このかやぶき門は、
鎌倉時代から続く武家門の形式を、
現在まで守り続けている珍しい門です。
旧増田家住宅
入来麓で武家屋敷が、
残っているのは旧増田家住宅です。
造られたのは明治6年頃ですが、
近世の武家住宅の形式を継承しているのが、
評価され国の重要文化財に指定されています。
旧増田家住宅は、家の中に入ると、
昔の武士の暮らしが感じられますので、
入来麓では必見の武家屋敷ですよ。
茅葺き屋根です。
旧増田住宅の母屋は、
おもてとなかえの二つの建物が、
つながった別棟型民家と呼ばれます。
別棟型民家は鹿児島で良く見られますが
旧増田住宅で目を引くのがかやぶき屋根です。
訪ねた時に行われていたのが、
このかやぶき屋根の補修工事でした。
補修でかやぶき屋根を守っているのですね。
旧増田家住宅の動画
旧増田家住宅のなかえの中では、
家に伝わるひな人形の展示をしていました。
おもてのほうでも、
手作り人形の展示がされています。
こちらから紹介しますので、
どうぞごらんくださいね。
入来麓の山城・清色城
入来麓の散策を楽しんできましたが、
入来麓の山城・清色城はいかがですか。
今日は入来麓の町並を散策してきました。
藩政時代の町並みが残る入来麓は、
昔の武士の暮らしが感じられる場所でしたよ。
入来麓観光案内所
鹿児島県鹿児島市薩摩川内市入来町浦之名麓
電話 0996-44-5200
(入来麓観光案内所)
駐車場 30台
JR川内駅から車で約25分
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