今日はいちき串木野市の紹介。
市街地から車で15分程、走ると、
羽島(はじま)という港町に着きます。
羽島港は、
鹿児島や日本にとって、
重要な事がなされた場所なのです。
羽島港には若き日の西郷隆盛が手掛けた防波堤
それは、薩摩藩が、
海外への渡航禁止令を破って、
薩摩藩士達を英国に派遣したことです。
人目につかない場所として、
この羽島浦が選ばれたのでしょう。
羽島の海岸から秘密裏に出国しました。
薩摩スチューデントと呼ばれた、
若き薩摩藩士達の記録を今に伝える、
薩摩藩英国留学生記念館が、
平成27年に羽島の港に建てられました。
![](https://kagoshimawalk.com/wp-content/uploads/2017/07/IMGP1647-1024x768.jpg)
薩摩藩英国留学生記念館の前にある防波堤。
記念館の前にある古い防波堤。
薩摩藩英国留学生記念館の、
前には、羽島漁港があります。
羽島漁港の外側には、
海に突き出した防波堤があります。
この防波堤の造りには歴史を感じます。
現代のコンクリート造りと違い、
玉石(たまいし)を積んで造ってあります。
実は、これは薩摩藩が築いたものです。
![](https://kagoshimawalk.com/wp-content/uploads/2017/07/IMGP1665-1024x768.jpg)
コンクリートの防波堤と違って味があります。
あの西郷隆盛が手がけた防波堤。
この防波堤を手がけたのが、
なんと、若き日の西郷隆盛だったのです。
当時20歳の西郷隆盛は、
薩摩藩の郡書役助、
(こおりかきやくたすけ)を務めていました。
これは農政をつかさどる役所の、
事務補佐のような役職でした。
藩内の各地を回ることも多かったそうです。
羽島の萬福池の工事に来ていました。
郡書役助であった西郷隆盛は、
羽島浦の近くにある萬福池の、
築造工事に来ていたのです。
その工事の余剰金を使って、
羽島漁港の防波堤を改修しました。
![](https://kagoshimawalk.com/wp-content/uploads/2017/07/IMGP1664-1024x768.jpg)
萬福池の玉石積みの技術が使われています。
防波堤の玉石積みは、
萬福池でも使われた土木技術です。
その玉石積みが生かされています。
羽島港は薩摩藩にとって重要な場所。
羽島漁港は、
人里より離れた港であったために、
古くから密貿易の基地であったようです。
薩摩藩は、
密貿易の監視のために番所を、
羽島に設けていたようです。
薩摩藩にとっては、
需要な場所だったために、
萬福池や防波堤の改修を行ったのでしょうかね。
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羽島は古くから密貿易の基地がありました。
西郷さんの人柄が現れています。
西郷さんは、藩内を仕事で回る中で、
農民や漁民の苦しみを見ていました。
その窮状を何とかしたいと思っていたそうです。
一説によると、
羽島の漁民が、防波堤の改修工事を、
何度も藩に陳情していたそうです。
そこに、萬福池の工事に来ていた、
西郷隆盛にお願いしたところ、
池の工事費から捻出してくれたそうです。
さすがに西郷どんは、
若いころから人の難儀を、
そのままに出来ない人柄だったのですね。
![](https://kagoshimawalk.com/wp-content/uploads/2017/07/IMGP1671-2-1024x768.jpg)
西郷どんの堤防は今でも使われます。
薩摩を変えた防波堤に「縁」を感じました。
若い西郷隆盛が造った防波堤から、
その後に、同じく若い薩摩藩士達が、
英国に向けて旅立っていきます。
いずれも若者達も、
薩摩藩のみならず、新しい日本造りに、
大いに貢献しました。
この羽島の防波堤に、
明治維新の立役者と、日本のリーダーを、
取り持つ不思議な「縁」を感じてしまいました。
西郷どんの防波堤
薩摩藩英国留学生記念館の前です。
鹿児島県いちき串木野市羽島4930
電話 0996-35-1865
開館時間 10:00~17:00
休館日 火曜日
拝観料 大人300円 小人200円
駐車場 あり(館まで無料シャトルバス有)
アクセス JR串木野駅から車で15分
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