鹿児島市から姶良市にはいると、
すぐに重富という場所があります。
ここには重富海岸があり、
大河ドラマ西郷どんのロケ地です。
重富海岸は目の前に桜島が見え、
遠浅の砂浜は、夏になると、
多くの海水浴客で賑わいます。
その重富にあるのが、
吉祥山 紹隆寺
(きっちょうざんしょうりゅうじ)
御朱印を頂こうやってきました。
吉祥山紹隆寺の場所
重富の近くには、
薩摩藩の街道であった、
大口筋白銀坂があります。
当時は海岸線の道は無く、
錦江湾に迫る山々の尾根伝いに、
薩摩藩の街道がありました。
重富島津氏が治めていました。
重富は薩摩の城下からは、
位置的には隣りになりますが、
白銀坂や海で囲まれた遠い場所でした。
そこを治めていたのが、
重富島津氏であったのです。
島津氏分家の中でも、
重富島津氏は、
大きな力を持っていたといわれます。
越前島津氏の菩提寺。
その重富島津氏の、
菩提寺(ぼだいじ)であったのが、
吉祥山 紹隆寺であったのです。
重富島津氏は元々、
越前(福井県)の当主として、
越前島津氏と名乗っていました。
越前島津氏の頃から、
越前の永平寺の末寺として、
菩提寺となっていたのです。
越前島津氏は、
戦国時代を経てから、
縁のある薩摩島津氏の、
分家として重富島津氏が出来ます。
紹隆寺は、
同じく重富島津氏の菩提寺として、
受け継がれているのです。
明治の廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)で、
廃寺になりますが、その後に再建され、
永平寺の鹿児島出張所となりました。
紹隆寺は曹洞宗の禅寺です。
紹隆寺は、
曹洞宗の禅寺として、
修行僧達の修行の場になっています。
現在も本山の永平寺から、
修行に来ていました。
こんな重富にあるお寺が、
あの永平寺と交流があるとは、
なんとも不思議な感じでした。
紹隆寺には重富島津家のお墓があります。
紹隆寺の墓地には、
重富島津家の歴代当主と、
その家族達のお墓がありました。
また西南戦争で、
薩軍兵士として出兵した碑の、
「招魂石(しょうこんせき)もありました。
ここ重富は、
あの西郷どんとも、
縁が深い場所だったのですね。
禅寺の御朱印を頂きました。
大きくて立派な本堂にて、
参拝を済ませて、
寺務所にて御朱印を頂きました。
吉祥院紹隆寺は曹洞宗のお寺です。
曹洞宗のお寺で頂く御朱印は、
中央に梵字(ぼんじ)がありました。
歴史ある紹隆寺でした。
今日は、
吉祥院 紹隆寺に行ってきました。
重富島津氏の、
歴史の深さを感じてきました。
そして素晴らしい、
御朱印も頂いてきました。
