戦国島津詣のツアーに参加して、
いよいよ戦国島津氏の居城の山城、
伊作城を攻めることになりました。
今回の戦国島津詣での、
メインイベントの城攻めです。
各々方、いざ出陣でござるよ。
戦国島津氏の居城・伊作城攻めには日置PR戦国武将達が待っていた。
伊作城があるのは、
鹿児島県日置市吹上町です。
吹上浜に近い伊作地区です。
鹿児島からのツアーバスは、
県道22号線の伊作峠を越して、
吹上伊作方面に降りていきます。
すると右側に、
伊作城の案内板が見えてきます。
右折すると坂道を登っていきます。
駐車場に案内地図があります。
しばらくすると、
伊作城の駐車場に到着です。
広いのでツアーの大型バスもOKです。
ここにはトイレもある、
整備された公園になっています。
山城全体が憩いの森なのです。
大きな地図と案内看板があります。
この地図で場所を確認しましょう。
なにせ伊作城は広いのです。
三木靖先生に案内を頂きました。
今回の戦国島津詣でのガイドは、
三木靖先生にお願いしましました。
大学で中世の城郭史が専門でした。
伊作城は標高73mの山に、
城の面積が50ヘクタールという、
巨大な中世の山城なのです。
人力で平坦な場所にした、
曲輪(くるわ)と呼ばれる場所が、
5つありそれぞれが点在しています。
戦国島津氏の居城でした。
伊作城は戦国島津氏の居城です。
島津家中興の祖と呼ばれる、
島津忠良(ただよし)(日新公)が生まれ。
その子・島津貴久と、
さらにその4人の息子たち、
島津4兄弟もここで生まれました。
島津氏が鹿児島市に、
居城を移してからも、
島津氏の聖地になっていました。
亀丸城を攻めます。
5つの曲輪の内で、
主郭と言える場所が亀丸城です。
ここが伊作城の本丸です。
この亀丸城に城主が住み、
島津4兄弟も亀丸城で生まれています。
亀丸城は駐車場から、
歩いても5分程の場所ですが、
城攻めに出発したいと思います。
城への道は空堀です。
亀丸城への登城は、
左右に壁がある道を登ります。
これは空堀(からぼり)と呼ばれます。
山の間を人工的にくり抜き、
狭い道を作り、敵の攻撃に備えます。
上からも攻撃できますしね。
鹿児島は加工しやすい火山灰の、
シラス台地が多く、大小様々な、
空堀が各地の山城に見られますよ。
登りやすい外城口です。
空堀の道は、
亀丸城に近づくにつれて、
木で補強した階段になります。
比較的登りやすいので、
年配のツアー参加者も大丈夫です。
でも山城を攻めようとする、
方々ですので、皆さん元気でしたよ。
亀丸城の主郭に到着です。
しばらくすると、
緑に囲まれた広場に出ました。
ここが亀丸城の主郭です。
曲輪の主郭は、
山城から平地の城に移ると、
本丸と呼ばれるようになります。
まあ城の主がいた場所ですね。
ここに戦国島津氏の武将たちが、
いたかと思うと感慨深いです。
戦国島津の武将たちが待っていました。
戦国島津氏に思いをはせていると、
主郭の奥に何やら人影があります。
近づいてみると、
なんと鎧姿の武将達が、
いるではありませんか。
島津の4兄弟を始め、
戦国島津氏の武将たちが、
私達を待っていたのです。
ひおきPR武将隊でした。
この方々は、
ひおきPR武将隊の方々でした。
日置市観光課が中心になり、
結成された武将の方々です。
祭りやイベントに参加されて、
戦国島津氏の故郷である、
日置市をアピールしているのです。
亀丸城の城址碑
主郭の奥には、
亀丸城の城址碑があります。
城址碑の前で、
三木靖先生の説明を聞きました。
また亀丸城の案内板には、
島津忠良から始まる、
戦国島津氏の家系図もあります。
お坊さんは島津忠良です。
武将の中にはお坊さんがいます。
このお坊さんは島津忠良です。
島津家中興の祖と云われる、
島津忠良は晩年は仏門にはいり、
日新公(じっしんこう)と名乗りました。
武家の子弟教育のために、
日新公が考案した島津いろは歌は、
薩摩藩の郷中教育の基になりました。
そんな偉いお坊さんとツーショット。
写真撮影もひおきPR武将隊の、
大事な仕事とのことでした。
ありますので紹介しますね。
楽しい山城攻めでした。
戦国島津詣のツアーで、
島津氏の居城・伊作城(亀丸城)を、
城攻めしてきました。
三木靖先生の解説と、
ひおきPR武将隊のもてなしで、
とても楽しい城攻めでしたよ。
伊作城(亀丸城)跡
鹿児島県日置市吹上中原3507-1
駐車場 有り
鹿児島市から車で約50分
鹿児島市内の観光情報はこちら
鹿児島市内の情報については、
鹿児島まち歩き 街案内をご覧ください。