鹿児島県日置市伊集院町に鎮座する妙円寺詣りが行われる徳重神社で御朱印を頂きます。

妙円寺詣りが行われる徳重神社です。

妙円寺詣りが行われる徳重神社です。

今日は鹿児島県内にある、
神社やお寺を巡っています。
前から行きたかった神社があります。

日置市の伊集院町に鎮座する、
徳重(とくしげ)神社です。
なぜ行きたかったかと言いますと。

 

スポンサーリンク

妙円寺詣りが行われる徳重神社

徳重神社は、
妙円寺詣りが行われるからです。

妙円寺詣りとは、
毎年10月に行われる、
薩摩藩の頃から伝わる行事です。

徳重神社に祀られるある人物を、
しのんでお参りするのです。

徳重神社では妙円寺詣りが行われます。

徳重神社では妙円寺詣りが行われます。

島津義弘公に参拝します。

ある人物とは、
薩摩藩主・島津家の、
島津義弘(よしひろ)公のことです。

島津義弘公は、
武勇の誉れ高い戦国武将です。
中でも「島津の退(の)き口」が有名。

義弘公は関ヶ原の戦いで、
敵陣の真っ只中を突破して、
薩摩に帰ってきたのです。

JR伊集院駅前の島津義弘公。

JR伊集院駅前の島津義弘公。

青少年の教育として行われました。

その義弘公の勇気と苦労を、
しのぶために妙円寺に毎年、
参拝するようになったのです。

薩摩藩は、青少年の教育として、
この妙円寺詣りを奨励しました。

薩摩城下から約20㎞の道のりを、
甲冑(かっちゅう)を付けて、
歩いて参拝したのです。

妙円寺詣りの歌を歌いながら参ります。

妙円寺詣りの歌を歌いながら参ります。

現在も賑やかに行われます。

その妙円寺詣りは、
現在も続いているのです。
当日は1日中多くの人で賑わいます。

妙円寺詣りの日には、
近隣から参拝者が集まり、
武者行列や音楽隊のパレードがあり、

徳重神社の境内では、
伝統芸能や相撲や弓の試合が、
奉納されるのです。

妙円寺詣りの日は 1日中賑わいます。

妙円寺詣りの日は 1日中賑わいます。

 

スポンサーリンク

徳重神社を見たかった。

そんな妙円寺詣りがある、
徳重神社を見たかったのです。
ただ御朱印も目的でしたけど。

神社の境内には、
妙円寺詣りで使われる、
相撲の土俵や弓道場があります。

徳重神社の境内に弓道場があります。

徳重神社の境内に弓道場があります。

それらを見ると徳重神社では、
妙円寺詣りが大事な行事、
である事が分かります。

でもなぜ徳重神社なの。

皆さんは疑問に思いませんか。
なぜ妙円寺詣りなのに、
徳重神社なのかと。

実は島津義弘公の、
菩提寺であった妙円寺は、
徳重神社の場所だったのです。

明治の初期に行われた、
廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)で、
妙円寺は廃寺になりました。

妙円寺は廃仏希釈で無くなりました。

妙円寺は廃仏希釈で無くなりました。

妙円寺の後が残っています。

その跡地に、
島津義弘公を祀る徳重神社が、
出来たという訳なのです。

妙円寺詣りの名前は残して、
今では徳重神社に、
お参りするようになったのです。

境内には義弘公に、
殉死した武将の墓が残っています。
ここが妙円寺だったことを、
それらの墓が語ってくれるのです。

義弘公に殉死した武将たちの墓。

義弘公に殉死した武将たちの墓。

スポンサーリンク

徳重神社の御朱印を頂く。

徳重神社の社務所で、
御朱印を頂きたいと思いましたが、
あいにく宮司さんが不在でした。

御朱印は後日、
妙円寺詣り当日に頂きました。

当日は宮司さんも忙しく、
御朱印は半紙に押して、
日付を入れたものになりました。

徳重神社の御朱印を妙円寺詣りの日に。

徳重神社の御朱印を妙円寺詣りの日に。

御朱印帳には頂けませんでした。

御朱印帳に、
頂けなかったのは残念ですが、
仕方がありません。

なかなか神社らしい、
凛とした御朱印でしたよ。

今日は妙円寺詣りが行われる、
伊集院町の徳重神社を、
改めて見ながら参拝をしてきました。

実は、廃仏毀釈で廃寺になった、
妙円寺は、徳重神社の近くに、
再建されていました。
島津義弘の菩提寺の妙円寺はこちらから

妙円寺は徳重神社のそばに再建されていました。

妙円寺は徳重神社のそばに再建されていました。

徳重(とくしげ)神社
鹿児島県日置市伊集院町徳重1786
電話  099-272-3975
駐車所 50台
JR伊集院駅より800m

鹿児島市内の観光情報はこちら

当ブログでは主に鹿児島県内の地方情報について紹介しています。
鹿児島市内の情報については、
鹿児島まち歩き 街案内をご覧ください。

 

タイトルとURLをコピーしました