鹿児島県肝属郡にある流鏑馬で有名な四十九所神社で御朱印を頂く。

今日は、大隅半島の中程にきています。
大隅最大の町・鹿屋から先に進むと、
高山(こうやま)という町がありました。

高山は藩政時代は、
麓(ふもと)呼ばれ、
多くの武士達が住む町でした。

今日の目的は、
その麓を守る鎮守の神社である、
四十九所(しじゅうくしょ)神社です。

その四十九所神社の、
御朱印を頂くためにやってきたのです。

 

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鹿児島県肝属郡にある流鏑馬で有名な四十九所神社で御朱印を頂く。

高山の麓地区に、
多くの武士が住んだのは、
薩摩藩が敷いた独特の制度によります。

薩摩藩は、
外城(とじょう)制度という、
領民の管理制度をとってました。

外城制度とは、
薩摩藩の領内の各地に、
外城という武士集落を置きました。

肥後(熊本県)と接していた出水市には、
防備のために多くの武士が住み、
特に県内最大の武家屋敷が作られました。

人をもって城となす外城制度

薩摩の外城制度は、
人をもって城となすといい、
武士の力で領土を守ろうとしました。

薩摩藩は、
領民の4人に1人が武士でした。
各地には半農藩士の武士達がいました。

普段は農業をしながら、
武術を磨きながら、
有事の際にそなえていました。

馬術が流鏑馬になった。

そこで、麓では、
武術の訓練が良く行なわれていました。
その中に馬術もあったのでしょう。

それが流鏑馬として発展して、
自分たちを守る神社に、
神事として奉納したのでしょうね。

ここ高山では、
その流鏑馬を奉納したのが、
四十九所神社だったのです。

四十九所神社に流鏑馬が奉納されます。

神社の前には水路がありました。

そんなわけで、
高山の流鏑馬の会場となる、
四十九所神社に来てみたのです。

神社の前には、
水路が流れていました。
とてもきれいな水です。

きれいな水路が流れていました。

神社の境内に入る者のけがれを、
この清水で洗い落としてくれるようです。

 

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四十九柱の神様を祀ります。

ところで、この神社の名前は、
とても変わってますよね。

名前の由来は、
四十九柱の神様を、
祀っているからなんだそうです。

そんなに沢山の神様だったら、
きっとそのご利益も、
たいしたものでしょうね。

四十九柱の神様を祀ります。

少年の射手も大したものです。

実は、高山の流鏑馬の、
射手(しゃしゅ)も大したものですよ。
なぜなら射手は少年なのです。

毎年、中学2年生の男子が、
射手にえらばれるのですよ。
馬に乗るのに大人ではないのです。

やぶさめの町には射手の写真があります。

そして短い期間の特訓で、
流鏑馬の射手になるというから、
たいしたものですよね。

社殿で参拝を行いました。

歴史を感じさせる、
四十九所神社の社殿にて、
沢山の神様に参拝をしました。

朱色の社殿は、
屋根の上に草が見られました。
この古さがとてもいいですよね。

近年は、この社殿の雰囲気と、
四十九の神様のご利益から、
パワースポットとしても脚光を浴びています。

パワースポットとしても脚光を浴びています。

 

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四十九所神社の御朱印を頂きました。

ここで本来の目的であった、
御朱印を頂くことにします。
神殿前の社務所で御朱印帳を出しました。

社務所にいらした、
宮司様に書いて頂きました。

四十九所神社の御朱印は、
さすがに流鏑馬の神社です。

御朱印の中にも、
やはり流鏑馬が行われる、
四十九所神社と書いてありました。

四十九所神社の御朱印です。

参道にあるのがやぶさめ馬道。

神社の前の参道には、
流鏑馬が行われるやぶさめ馬道がありました。
ここだけ舗装されずに土があります。

この参道はやぶさめ馬道と呼ばれます。

ここを馬が走るのですね。
今度は実際の流鏑馬が行われる10月に、
また御朱印を頂きに来ようかな。

四十九所神社(しじゅうくしょじんじゃ)
鹿児島県肝属郡肝付町新富5580
電話 0994‐65‐2938
鹿屋市から車で20分
鹿児島空港からバスで2時間20分
流鏑馬は毎年10月の第3日曜日です。

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