日置市東市来町にある山城、
市来鶴丸城に行ってきました。
市来鶴丸城は、
東市来町の鶴丸小学校の、
裏山にあった広大な山城です。
麓には神社や石垣が広がる、
古城の雰囲気が残る場所ですよ。
鹿児島県日置市東市来町の山城・市来鶴丸城の主郭に登りました。
市来鶴丸城があるのは、
国道3号線の旧東市来町役場の、
裏を走る県道305号線沿いです。
県道に面した鶴丸小学校は、
鶴丸城の平地の館があった場所で、
藩政時代には地頭仮屋が置かれました。
鶴丸小学校の正門は、
堅固な石垣に囲まれています。
生徒達は石垣を見ながら登校します。
鶴丸小学校の横が外城口。
鶴丸小学校の横に、
市来鶴丸城への登城口があります。
学校の校庭を見ながら、
外城の坂道が始まります。
日置市鶴丸地区公民館があります。
ここの駐車場に駐車しました。
春日神社と護国神社があります。
外城口には、
二つの神社が鎮座します。
春日神社と護国神社です。
赤い鳥居が印象的な神社ですが、
春日神社の前身は鶴丸城の、
守護神を祀っていたのでしょうね。
フランシスコザビエルの像がある。
市来鶴丸城の入口にあったのは、
フランシスコザビエルの像です。
日本にキリスト教を伝えた彼が、
初めて上陸したのは薩摩の国です。
薩摩で布教したザビエルが、
薩摩から平戸に向かう途中で、
鶴丸城に立ち寄って布教しました。
鶴丸城の城攻めを開始します。
外城口の入口に、
ザビエルの絵が入った、
鶴丸城の案内図があります。
ここから城攻めを開始します。
本丸のある主郭まで230mとのことです。
頑張って登りますね。
空堀の登城路を進みます。
登城路は整備されていて、
登り易かったですよ。
整備された道の周りには、
空堀の跡のような場所もあります。
あともう少しで主郭に着きます。
普段が運動不足ですので息が荒くなります。
鶴丸城の主郭に着きました。
鶴丸城の主郭に着きました。
主郭は標高100mになります。
外城口から約13分程で到着です。
主郭は本丸の跡になりますが、
鶴丸城と呼ばれるのは主郭部分で、
山城全体は市来城と呼ばれます。
この主郭の場所に立つと、
いつも当時の武将たちの姿を、
想像してしまします。
昔に思いを馳せるのも、
山城での楽しみの一つなのです。
市来氏が最初の城主でした。
鶴丸城がある市来城は、
地元・市来院を治めたていた、
市来氏が築城したと云われています。
宝亀年中(770~781年)に、
薩摩に下向した市来氏は、
市来の郡司(ぐんじ)となりました。
郡司とは中央から派遣された、
国司の下で、郡を治める、
地方官のことなのです。
島津氏が城主になりました。
南北朝時代になると、
南朝方についた市来氏は、
北朝方の島津氏と戦います。
島津氏に攻められて、
市来氏は降伏しました。
市来は島津氏の領地になり、
島津氏が鶴丸城の城主となります。
様々な城主がいました。
最初は島津分家の、
薩洲島津家が城主となりますが、
島津家の内紛が起こります。
その後に伊作島津家の、
島津忠良が鶴丸城主となります。
その後に島津忠良は、
薩摩を平定して、島津家の、
中興の祖と呼ばれました。
江戸時代は地頭仮屋が置かれる
江戸時代になると、
薩摩藩が領内に敷いた、
外城制度の麓(ふもと)になります。
薩摩領内の各麓に置かれた、
地頭仮屋が市来にもありました。
地頭仮屋の屋敷は、
現在の鶴丸小学校にありました。
市来鶴丸城に行ってきました。
今日は東市来町にあった、
この地区を治めてきた、
市来鶴丸城に行ってきました。
麓にある鶴丸小学校から、
簡単に登れる山城でしたよ。
あなたも城攻めをしてみませんか。
市来鶴丸城跡
鹿児島県日置市東市来町長里165
問合せ 099-248-9432
(日置市教育委員会・社会教育課)
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