加治木の町に、
前から行きたいと、
思っていた場所があります。
それは加治木島津家屋形跡です。
ここは戦国武将の島津義弘公が、
晩年を過ごした場所です。
加治木島津家屋形跡の場所。
加治木島津家屋形跡があるのは、
鹿児島県姶良市加治木町です。
加治木町の仮屋町という所に、
当時の屋形の石垣が残っています。
加治木島津家屋形の配置図がありました。
それによると島津義弘公が亡くなった後も、
加治木島津家の居館として使われました。
学校も島津家屋形の敷地です。
藩政時代の周辺略図がありました。
周辺には学校がありますが、
学校の敷地も略図に入っています。
現在は柁城(だじょう)小学校と、
県立加治木高校があります。
ここも屋形の一部だったからすごいですね。
県立加治木高校も、
加治木島津家屋形の一部だったとは、
その広さに驚いてしまいました。
居館の跡には護国神社が鎮座。
義弘公の居館跡には、
現在は護国神社が建ってます。
加治木島津家の居館跡は、
護国神社の境内になっていました。
戦国武将の島津義弘公とは。
ではこの屋形の主である、
島津義弘公とはどんな人物なのでしょうか。
島津義弘公は、
島津貴久の島津4兄弟の、
次男として生まれました。
生まれた場所は、
戦国島津氏の居城である、
伊作亀丸城でした。
山城ですよ。こちらで紹介します。
武勲の誉れ高い武将。
島津義弘公は、
武勲の誉高い武将でした。
特に有名なのが、
関ヶ原の戦いで行った、
敵中を突破して敗走した。
島津の退(の)ぐちと呼ばれます。
薩摩ではこの敵中突破を、
偲んだ妙円寺詣りが始まりました。
妙円寺詣りが行われていますよ。
加治木饅頭の発祥の地。
島津義弘公は当時にしては、
珍しい85歳の長寿でした。
晩年はここ加治木の町で、
この島津家屋形で住みます。
その屋形の堀に石橋をかけます。
その石橋の工事の休憩時間に、
出したのが加治木まんじゅうです。
戦いに明け暮れた、
戦国武将の意外な一面を見せてくれます。
またその時の石橋が、
屋形跡に残っていますよ。
掘の水はありませんが。
こちらで紹介しています。
加治木島津屋形跡
鹿児島県姶良市加治木町仮屋町213
駐車場 有り
JR加治木駅より車で約8分
九州自動車加治木ICより車で約3分
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