加治木島津家屋形跡で戦国武将・島津義弘公が晩年を過ごした。

 
加治木の町に、
前から行きたいと、
思っていた場所があります。

それは加治木島津家屋形跡です。
ここは戦国武将の島津義弘公が、
晩年を過ごした場所です。

 

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加治木島津家屋形跡の場所。

加治木島津家屋形跡があるのは、
鹿児島県姶良市加治木町です。

加治木町の仮屋町という所に、
当時の屋形の石垣が残っています。
 

加治木島津家屋形跡に行ってきました。

加治木島津家屋形跡に行ってきました。

加治木島津家屋形の配置図がありました。
それによると島津義弘公が亡くなった後も、
加治木島津家の居館として使われました。

学校も島津家屋形の敷地です。

藩政時代の周辺略図がありました。
周辺には学校がありますが、
学校の敷地も略図に入っています。
 

柁城小学校と加治木高校が含まれた地図です。

柁城小学校と加治木高校が含まれた地図

現在は柁城(だじょう)小学校と、
県立加治木高校があります。
ここも屋形の一部だったからすごいですね。
 

柁城小学校も加治木島津家屋形の敷地でした。

柁城小学校も加治木島津家屋形の敷地

県立加治木高校も、
加治木島津家屋形の一部だったとは、
その広さに驚いてしまいました。
 

加治木高校も島津家屋形の敷地でした。

加治木高校も島津家屋形の敷地でした。

居館の跡には護国神社が鎮座。

義弘公の居館跡には、
現在は護国神社が建ってます。
 

義弘公の居館跡は護国神社が建っています。

義弘公の居館跡は護国神社が建っています。

加治木島津家の居館跡は、
護国神社の境内になっていました。

戦国武将の島津義弘公とは。

ではこの屋形の主である、
島津義弘公とはどんな人物なのでしょうか。

島津義弘公は、
島津貴久の島津4兄弟の、
次男として生まれました。

生まれた場所は、
戦国島津氏の居城である、
伊作亀丸城でした。
 

伊作亀丸城は戦国島津氏の居城の、
山城ですよ。こちらで紹介します。

武勲の誉れ高い武将。

島津義弘公は、
武勲の誉高い武将でした。
 

JR伊集院駅前にある島津義弘公の像です。

JR伊集院駅前にある島津義弘公の像です。


 
特に有名なのが、
関ヶ原の戦いで行った、
敵中を突破して敗走した。

島津の退(の)ぐちと呼ばれます。
薩摩ではこの敵中突破を、
偲んだ妙円寺詣りが始まりました。
 

現在でも毎年、
妙円寺詣りが行われていますよ。

 

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加治木饅頭の発祥の地。

島津義弘公は当時にしては、
珍しい85歳の長寿でした。

晩年はここ加治木の町で、
この島津家屋形で住みます。

その屋形の堀に石橋をかけます。
その石橋の工事の休憩時間に、
出したのが加治木まんじゅうです。
 

義弘公が作らせた石橋は残っていました。

義弘公が作らせた石橋は残っていました。

戦いに明け暮れた、
戦国武将の意外な一面を見せてくれます。

またその時の石橋が、
屋形跡に残っていますよ。
掘の水はありませんが。
 

その加治木まんじゅうについては、
こちらで紹介しています。

 
加治木島津屋形跡
鹿児島県姶良市加治木町仮屋町213
駐車場 有り
JR加治木駅より車で約8分
九州自動車加治木ICより車で約3分
 

 

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