鹿児島県内にある中世城郭の山城を回った15の山城一覧です。

鹿児島の歩き方で、
県内にある山城を回っています。
主に戦国時代の中世の城郭ばかりです。

鹿児島の火山灰のシラス台地で、
山を削り易かったのでしょうか、
他県に比べて山城が多いのです。

鹿児島にはまだまだ沢山の山城があります。
これから未踏山城の城攻めをします。
今まで回った15のお城を紹介しますね。

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鹿児島の山城一覧

次の山城を順に紹介しますね。

木牟礼城      (出水市)
松尾城「栗野城」  (姶良郡湧水町)
横川城       (霧島市横川町)
清色城       (薩摩川内市入来町)
串木野城      (いちき串木野市)
別府城       (南さつま市加世田)
市来鶴丸城     (日置市東市来町)
南郷城       (日置市吹上町)
伊作城 「亀丸城」 (日置市吹上町)
一宇治城      (日置市伊集院町)
谷山本城「千々輪城」(鹿児島市)
東福寺城      (鹿児島市)
鹿児島城「鶴丸城」 (鹿児島市)
志布志城      (志布志市)
飯野城       (宮崎県えびの市)

木牟礼城(きむれじょう)跡

木牟礼城跡は、
鹿児島県出水市にある、
島津氏が鹿児島入りした頃の山城です。

文治2年に島津忠久が、
薩摩・大隅・日向の地頭職に任じられ、
部下の本田貞親が築城します。

薩摩の島津家発祥の城です。
田園風景の畑の中にポツンと、
盛り上がった丘に木牟礼城址碑があります。

木牟礼(きのむれ)城は薩摩島津家の発祥地

木牟礼城(きむれじょう)跡です。

木牟礼城(きむれじょう)跡です。

松尾城(栗野城)跡

鹿児島県姶良市湧水町にある、
松尾城は、以前の地名である栗野から、
栗野城とも呼ばれる山城です。

もともと在地の領主・北原氏が、
築城した松尾城でしたが、
天正18年に島津義弘が入城します。

その後に朝鮮の役が始まり、
島津義弘は松尾城から朝鮮に出兵します。
義弘が手を入れた石垣が美しい山城です。

松尾城は島津義弘が朝鮮の役に出陣した山城

鹿児島県湧水町にある松尾城(栗野城)跡

鹿児島県湧水町にある松尾城(栗野城)跡

清色城(きよしきじょう)跡

清色城跡は、
薩摩川内市の入来町にある、
入来麓の武家屋敷の裏山にあります。

入来の地を長く治めた、
入来院氏の居城の山城です。

堀切や曲輪の跡が残り、
清色城の入口にある堀切は、
山城の特有の迫力あるものですよ。

入来麓にある山城・清色城の城郭符を頂く。

薩摩川内市の入来にある清色城跡です。

薩摩川内市の入来にある清色城跡です。

串木野城跡

いちき串木野市にある、
串木野城は、串木野氏の居城でしたが、
戦いの末、島津家久が入城しました。

島津家久の息子・島津豊久も生まれました。
島津豊久は関ヶ原の戦いで、
島津義弘の身代わりになった悲劇の武将です。

その後に城の周りが串木野麓になり、
藩政時代は麓には仮屋(役所)が置かれ、
この地の政治の中心になります。

島津豊久が生まれた串木野城の城郭符

いちき串木野市の串木野城跡です。

いちき串木野市の串木野城跡です。

別府城(加世田城)跡

南さつま市の加世田にある、
別府城は別府五郎忠明が築城します。
以来、別府氏が300年間城主をつとめます。

その後に、島津氏が別府城を落とします。
別府城に入った島津氏が内紛を起こします。
島津忠良が島津を統一するまで戦いの城。

加世田麓にあるために、
加世田城とも呼ばれますが、
城跡は公園になり城址碑があります。

加世田麓の別府城跡(加世田城址)です。

南さつま市加世田の別府城(加世田城)跡で

南さつま市加世田の別府城(加世田城)跡

市来鶴丸城跡

市来鶴丸城は、日置市東市来町の、
鶴丸小学校の裏山にある山城です。

市来院を治めていた、
郡司であった市来氏が築城しました。
南北朝時代に島津氏に落とされます。

その後、フランシスコ・ザビエルが、
立ち寄って布教したことでも知られる山城。

日置市東市来町の山城・市来鶴丸城の主郭

日置市東市来町の市来鶴丸城跡です。

日置市東市来町の市来鶴丸城跡です。

南郷城跡

南郷城は日置市吹上町の永吉の、
永吉小学校の裏山にある山城です。
以前の地名・日置南郷から城名になりました。

城主・桑畑氏と島津氏とで、
南郷城の争奪戦を繰り広げた山城です。
多大な犠牲を払い島津忠良が落とします。

麓からは10分程で登れますが、
主郭の本丸跡には、土塁跡が残り、
遠くに吹上浜も見える山城です。

南郷城は桑畑氏が築城し島津氏と争った

日置市吹上町の永吉にある南郷城です。

日置市吹上町の永吉にある南郷城です。

伊作城(亀丸城)跡

伊作城は日置市吹上町にある、
戦国島津氏の居城の山城です。
本丸は亀丸城と呼ばれた巨大な城でした。

山城全体は憩いの森と呼ばれる、
公園になっていて整備されています。

本丸の亀丸城には、
伊作城と島津氏の解説があり、
戦国島津氏について知ることができます。

戦国島津氏の居城・亀丸城跡(伊作城跡)

日置市吹上町にある伊作城跡(亀丸城跡)

日置市吹上町にある伊作城跡(亀丸城跡)

一宇治城跡

一宇治城跡は、日置市伊集院町の、
城山(じょうやま)公園の中にあります。
伊集院の町並みが一望できる高台です。

鎌倉時代に築城され、
城主が攻防の度に入れ替わる山城でした。

最終的に島津貴久が入城して、
薩摩・大隅を平定して、
第15代の島津家当主になります。

フランシスコ・ザビエルが、
島津貴久に謁見して、キリスト教布教の、
許可を貰った城として知られます。

日置市の一宇治城です

鹿児島県日置市伊集院町の一宇治城跡です。

鹿児島県日置市伊集院町の一宇治城跡です。

志布志城(しぶしじょう)

志布志城は、
鹿児島県志布志市にある山城。
志布志麓を治めた城です。

志布志城は、
四つの城が集まった城です。
鹿児島で最大級の広さを誇ります。

麓には様々なタイプの、
武家屋敷が点在しています。

志布志城(内城)は志布志麓を治めた山城

志布志城の内城跡に登りました。

志布志城の内城跡に登りました。

飯野城(いいのじょう)

飯野城は宮崎県えびの市にある、
山城です、唯一の宮崎県です。

しかし戦国時代は、
戦国島津氏の最強武将の、
島津義弘の居城でした。

薩摩の領地であった真幸院で、
島津義弘は人生の大半を、
過ごした山城を紹介します。

飯野城は薩摩の戦国武将・島津義弘の山城

戦国武将・島津義弘の居城の大手門

戦国武将・島津義弘の居城の大手門

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鹿児島市の山城

谷山本城(千々輪城)跡

谷山本城(千々輪城)跡は、
鹿児島市谷山地区にある、
郡司・谷山氏の居城の山城跡です。

南北朝時代になると、
南朝側についた谷山氏は、
北朝側の島津氏と争います。

谷山城(千々輪城)跡の周りは整備され、
鹿児島の自然百選にもなっている、
自然観察ができる山城跡ですよ。

鹿児島市にある谷山本城(千々輪城)跡

鹿児島市にある谷山本城(千々輪城)跡

鹿児島市にある谷山本城(千々輪城)跡

東福寺城跡

鹿児島市の多賀山公園は、
標高58.9mの小高い丘にあります。
多賀山公園の奥にあるのが東福寺城跡です。

南北朝時代に北朝側についた島津氏が、
南朝側に谷山氏の谷山本城と争った、
島津氏の居城の山城跡です。

整備された公園の奥に、
曲輪や堀切の跡が残る山城跡です。

鹿児島市の多賀山にある東福寺城跡です。

鹿児島市の多賀山公園にある東福寺城跡

鹿児島市の多賀山公園にある東福寺城跡

鹿児島城(鶴丸城)跡

鹿児島市にある鹿児島城は、
鶴丸城とも呼ばれ、藩主の島津氏の居城です。

鹿児島城は平地に造られた
平城で天守閣を持たない城です。

外城制度で領内に110の麓を置き、
麓に武士を住まわせ防備にあたらせました。
まさに人をもって城となしたのです。

薩摩藩主・島津氏の鹿児島城(鶴丸城)跡

鹿児島市の鶴丸跡(鹿児島城跡)です。

鹿児島市の鶴丸跡(鹿児島城跡)です。

鹿児島の山城を紹介しました。

以上、鹿児島県の山城で、
訪れたことのある中世城郭の山城跡と、
鹿児島城(鶴丸城)跡を紹介しました。

鹿児島は山城がまだまだ沢山あります。
これからも残りの山城跡を回って、
紹介していきたいと思います。

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鹿児島市内の観光情報はこちら

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鹿児島市内の情報については、
鹿児島まち歩き街案内をご覧ください。

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